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「1973年のピンボール」読了・追記


最終章がこの句と一致と書きました。


 かはかうや 竹田へ帰る 雪のくれ


「かはかう」は肥汲みのことです。

農家の人が肥料として、トイレの糞尿を買いに来る。


「1973年のピンボール」最終章から引用します。


テネシー・ウィリアムスがこう書いている。過去と現在についてはこのとおり。未来については「おそらく」である、と。


「過去」も、まあ「かはかう」のシャレ?ですが、「おそらく」が曲者です。

何でわざわざ、こんなことを書くのだ。怪しいゾなのです。


ほとんどの人は「おそらく」を、「たぶん」「きっと」意味に取るでしょう。

しかーし、謙虚に辞書を引きますと「はばかりながら」の意味も出てくる。

毎日辞書を引くような生活をしている私でさえ、知りませんでした。


「はばかり」はトイレのことです。



最後のしりとりのつづき」も何かを暗示しているはずと読める。

すぐ後にこだまのように」と傍点付きで出てきます。

しりとりといえば「こぶた・たぬき・きつね・ねこ♪」で、「こだま」が続きます。


「きつね」を導くための描写と思われます。



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by ukiyo-wasure | 2017-12-30 11:12 | 古川柳・俳句 | Comments(0)

「1973年のピンボール」読了


其角の句の答え合わせとして読みました。

最後はこの句と思われます。

 かはかうや 竹田へ帰る 雪のくれ

解釈はこちら。

http://tamegoro.exblog.jp/27159922/



解読しながら読みましたが、キリシタンの登場にはビックリ。

其角の句は難解すぎて、まだまだ解らないのがいっぱいです。

村上春樹さんが、1980年に其角の句すべてを解読していたとしたら、大変な功績だと思います。

他の作品もぜひ読みたい。


源氏、芭蕉、其角、北斎、写楽、谷崎、深沢と来て、今、太宰もヤバいかなあ。

「富嶽百景」は、メアファー小説です。


深沢も谷崎も、村上春樹さんも、私には「読みたくない文体」でした。

足踏みしているような感じ。ムダが多いのね。

今は、その理由がハッキリしていますから、読めます。

同じような理由で苦手だったのが太宰です。

だから全然読んだことがありません。

そこが、シッポです。あの文体はワザとでしょう。

「パンドラの匣」ってありますよね。タイトルだけで、怪しい。

なぜ「パンドラの壷」じゃないの。

読んでいませんが、例えばね、

壷=こ=子。「子を捨てて」というように読める。

この手の小説は、タイトルに答えがあるから。

「富嶽百景」以後の作品は、要注意だと思います。


あとは中原中也ね。

「サーカス」は絶対、メタメタのメタファーでしょ。


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by ukiyo-wasure | 2017-12-30 02:45 | 詩・文芸 | Comments(0)

其角「明星や」はジュゼッペ・キアラか


其角の、

 明星や 桜定めぬ 山かづら


桜定めぬ 山かづら=往生めぬ 懺悔づら

と、解釈しておりました。

明星が、誰のことか解らない。

往生といえば、「往生要集」の源信か。桜がらみで西行か。

どちらもイマイチ、ピタッとこない。


「1973年のピンボール」文庫P161〜と一致すると思われます。

「沈黙」というワードが出てきます。遠藤周作の「沈黙」はちょうどこの頃の、キリシタンの話です。

仏教の僧ではなく、キリスト教の宣教師のことか。

「沈黙」のモデル、宣教師のジュゼッペ・キアラは転びました。


明星=赤星。

白魚が、白の「逆名」で赤。紅毛人のことでした。

赤星=赤法師=キリスト教宣教師



一般の信者が転ぶのは仕方がないけども、宣教師が転ぶのは「なさけない」という句ではないでしょうか。


  宣教師 往生めぬ 懺悔づら

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by ukiyo-wasure | 2017-12-28 22:44 | 古川柳・俳句 | Comments(0)

キリシタンでイメージ変わった其角


ここに来て、まさかの展開です。


其角のこの句、

 この木戸や 錠のさされて 冬の月


「キリシタン」という条件を加えて考えると、「1973年のピンボール」文庫P149〜とピッタシ。

ピンボール台が78台並ぶ、不気味な建物のシーンです。


此の木戸や=死の木戸や

キリシタン屋敷のイメージです。収容された牢です。病死者78人だそうです。

「冬の月」を何と読むか。

月=クニと読めば、「神の国」などになるのかなあとも思う。

冬=とお=十で、神の無い国か。

解ったら書きます。


それはさておき、其角は酒のせいでしょうが、若死にしています。

飲まずにいられない気持ちが、解ります。

悪い酒です。美味しいから飲むのではなく、酔うために飲んだのでしょう。

元禄は平和で、文化の花が咲き誇ったイメージだったのに……。

なーんか、気分が落ちました。


 ドーン!

 

 

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by ukiyo-wasure | 2017-12-28 16:52 | 古川柳・俳句 | Comments(0)

「1973年のピンボール」ジェイ=キリスト


前回の記事

 行年や 壁に耻(はじ)たる 覚書

 行年や 聖書に恥じたる 額踏み

と解釈しました。


「1973年のピンボール」文庫P134〜と一致します。


以下、疲れたジェイの風貌です。

 黒い髭が頬と顎を影のように被い、目はくぼみ、細い唇は乾いてひびわれている。


キリストっぽいでしょ。

ジェイ=Jesus



ここで、待てよ……なのです。

 親にらむ ひらめをふまん 塩干かな


ふまん=踏まん。踏むとくれば、もしかして「踏み絵」?

ひらめ=平目=目が平らになって四=師(キリスト)

親が「水責め」にあって、自分は棄教。水が引いた。


芭蕉は「奥の細道」でトリプルミーニングをやっていますからね。

裏の裏に込めたのか……。



そういえば、中尊寺ってキリスト教っぽいなあと思ったことがあります。

「中」が十字架みたいだし。と、ミーハーな理由からですが。

ミイラもキリスト教にあるし。

キリスト教といっても、大昔、景教と呼ばれた頃に日本に伝わっていたのではないかと。

そうなると、中尊寺・義経・義仲→芭蕉とつながる。


古代史研究家の皆さん、どうなんでしょう。


追記 

義仲寺は大津にあるのですね。
明智光秀かあ。娘がガラシャなので本人もキリシタンではないかと言われています。
そういえば、芭蕉の句に「明智の妻」が出てきたような……。

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by ukiyo-wasure | 2017-12-27 13:03 | 古川柳・俳句 | Comments(0)

「1973年のピンボール」=其角「饅頭で人を尋ねよ山ざくら」


其角の、

 饅頭で 人を尋ねよ 山ざくら


これは何度も書いていますが、

饅頭=小倉百人一首

山ざくら=66番 大僧正行尊さんのことです。


「1973年のピンボール」文庫P120〜と一致ですが、思わず独り笑いしちゃいました。


3フリッパーのスペースシップというピンボール台を探すのですが、知っているという人と電話がつながります。


電話の相手が言います。

「悲運の台として少々知られたものでしてね。」

「悲運の台?」


行尊さんは、天台宗の座主(トップ)になるのですが、

ウィキによると「延暦寺と園城寺との対立により6日で辞任

まさしく「悲運の台」なのでーす。

スペースシップ=「天」に掛かっていますし。




追記 

この章を読みましたら、行尊の歌の解釈に疑問がフツフツ。

間違ったかなあ。なのです。

 もろともに あはれと思へ 山桜

     花よりほかに 知る人もなし



 もろともに  諸=シ

 あはれと思へ  ハ

 山桜      サ

 花よりほかに  カ

 知る人もなし  シ

 


司馬、賢し」と読みましたが、「死場さがし」かも


「しは」と読む言葉はいっぱいあります。「死場」は辞書にありませんが、古典ですからね。


小説=探す。俳句=尋ねる。とくると和歌も「探し」でキマる。


村上春樹さんの「世界の終りと~」の最終章と一致しているはずですので、確認してみます。



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by ukiyo-wasure | 2017-12-26 02:43 | 古川柳・俳句 | Comments(0)

「1973年のピンボール」=其角「秋の暮祖父のふぐり見てのみぞ」


 其角の、

  秋の暮 祖父(おおじ)のふぐり 見てのみぞ


難しかった。

「1973年のピンボール」文庫P100(12章)を読んだら解りました。


祖父のふぐり=カマキリの卵のことだそうです。

そんなのは辞書を引けば誰にだってわかる。


小説の方を「よくよく、じっくりと、繰り返し」読みますと、主人公は「口から出まかせ」ばっかり言っていることに気づく。


祖父のふぐり=褒姒(ほうじ)のふぐり(陰嚢)

褒姒はおなじみ、中国の美女。美女のふぐりとは、あり得ないことって意味。

簡単に言うと「うそつき」です。


秋の暮=前にも出てきた気がします。本当は「秋の夕暮」

「夕」がない。勇(または有か)がないということでしょう。

熊(ゆう)はもう冬眠していないという話も出てきますし。


 勇なくて デタラメ以外 聞いたことなし


誰のことでしょう。


小説から引用します。

「本当にそう思うんなら」と彼女は言った。

「靴箱の中で生きればいいわ」素敵な意見だった。


  靴箱=かそう=仮想

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by ukiyo-wasure | 2017-12-24 23:52 | 古川柳・俳句 | Comments(0)

「1973年のピンボール」=其角「さぞ砧孫六やしき〜」


これも面白いです。

 さぞ砧(きぬた) 孫六やしき 志津屋敷


前書きに「関の素牛にあひて」とある。

素牛さんは、惟然さんのことです。裕福な酒造家に生まれたけれど、財産をなくしたそうです。

もしかして、放蕩が原因?

孫六やしきも、志津屋敷も刀鍛冶です。砧は布を叩きます。関係ないから変なのです。

さぞ=さぞ「打った」んだね。打つ=博打です。

孫六やしき志津屋敷=刀鍛冶=火事場=鉄火場です。


  打つは打つでも 刀ならぬ 鉄火場か

こんな句意かと。



「1973年のピンボール」文庫P23〜と一致します。


 金星は雲に被われた暑い星だ。

金星=禁制でしょう。

雲=運に被われた。

 暑さと湿気のために住民の大半は若死にする。

鉄火場であり鍛冶場ですからね。




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by ukiyo-wasure | 2017-12-22 01:25 | 古川柳・俳句 | Comments(0)

「1973年のピンボール」=其角「時鳥茄子も〜」


其角の、

 時鳥 茄子も三ッの 小篭かな


時鳥は、テッペンカケタカで火山ですから温泉の情景が浮かんできます。

茄子=僧の隠語で

「茄子も」の「も」で、一緒に温泉に入っている。

温泉卵のイメージです。


「1973年のピンボール」文庫P49〜配電盤を取り替えて、作業員の人に「ゆで卵」をすすめる。

面白いのは、ごちそうになるのさえ遠慮していたのに

「中くらいの固さで……」と注文をつけている。

みんなの分を茹でるのに、何を言うかとつっこみたくなります。

半熟だから、やっぱり「温泉卵」かと思う。

デニッシュはデンマークのパンで、北欧は温泉もあるし……。


が、待てしばし、なのです。

温泉卵じゃ、全然面白くない。其角ですからねー。

裏の裏がありそう。メタファーのメタファーでヘビメタ。

引っ掛かるのが「小篭」。これって言い変えるとザルですよね。

卵と思わせておいて徳利ではないの?茄子に形が似ているし。


大先生にお伺い。

 「彼ってすごいんだから。」と208が言った。

 「獣よ。」と209が言った。


これをどう読むかです。

  獣=虎なら、バッチリ。


あー、「三ッ」が残っていました。これも意味があるはず。

いや、小篭を「さかご」と読むと……うーん、自信なくなってきた。

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by ukiyo-wasure | 2017-12-21 14:23 | 古川柳・俳句 | Comments(0)

「1973年のピンボール」=其角「身にしむや〜」


これには参りました。

其角の鬼といわれる研究者の人がいますが、「鬼」の上を行っている村上春樹さんは、やっぱり閻魔大王のような人でございます。

この句。

 身にしむや 宵暁(よいあかつき)の 舟じめり


私にはまったく解けていませんでした。


「1973年のピンボール」文庫本のP42〜を読んで、


 ああーっ


となったのでーす。


句意いきます。

 骨なくて 山に住むや ヤカンのタコ


小説の方は、大学をやめて一人暮らしをするという話。
やめた理由は、説明できない。
夕方になるとある感情が押し寄せるという。


 身にしむや=慣用表現「骨身にしみる」の骨がない。

 身にしむや=32468=3(山)に4(中国語のスー)む・や

 宵暁=夜間=やかん

 舟じめり=住持めり。住持は僧=タコ。

 ヤカンのタコ=手も足も出ない


さあ、誰のことでしょう。

其角自身のことかと思ったけど、どうもしっくりこない。

山に住む=山家集=西行


つまり……羊男さんです。

大学をやめた理由=出家した理由は「戦が嫌だった」

武士をやめた=骨がない

宵になると「嘆けとて月やはものを思はする……」となるのでしょう。

文庫で175ページという、長編とはいえない短めの小説ですが、その裏には、其角解読という、奇跡ともいうべき功績が隠れているのでした。











 





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by ukiyo-wasure | 2017-12-20 11:49 | 古川柳・俳句 | Comments(0)