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ラスボスは志賀直哉か


川端康成の代筆疑惑からはじまって、インチキが底なし状態になってきたのですが。

これらをプロデュースしていたのは誰だろうと謎でした。

大正時代からですからね。

初めは菊池寛かなあと思っていた。

が、太宰の態度では、その上に誰かいる感じがあった。

登場人物の中で、もっとも年上は志賀直哉

日本人離れしたイケメンです。

ずるそうな人相でもない。

太宰以外は、誰一人悪口を言わない。

こうゆうキャラが、大ドンデンで「黒幕」のケースはよくある。

事実は小説より奇なり。


「暗夜行路」の上巻、読み終えました。


阪口の自殺方法「播磨」の謎も解けました。


タイトルも解読できました。

ヒントは「斜陽」にありました。


太宰ファンの皆様、乞うご期待。







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by ukiyo-wasure | 2018-06-11 12:28 | 作家 | Comments(0)

志賀直哉で思い当たること


前の記事の補足です。


「掌の小説」の「白馬」1963年。谷崎が書いたと思う。

幼少の頃、仲良しの女の子が「白馬」の絵を描いたことを思い出している。
その白馬の幻が度々現れる。
乗っている者は桃色の服に、黒衣をたなびかせている。
この少女には40年逢っていないし、どうしているかも解らない。


「白鳥」1948年から15年後です。その前に「斜陽」があった。

「白鳥」も「斜陽」も志賀直哉の「小僧の神様」(尾崎紅葉と読む)について書いている。

白馬というのは元々は葦毛です。懐かしいプレストウコウです(歳バレるし)。


 葦毛=足蹴=金色夜叉



たなびく黒衣は貫一のマント


栗毛=マロン殻=僻目の解釈は、「掌の小説」の「時計」がヒントです。

服部セイコー=服部半蔵=伊賀者=僻者





深沢に「去年の秋」というラジオドラマの脚本があります。

表向きは「正宗白鳥の死」について書いたことになっている。

私は、谷崎の死について書いていると読みました。

「去年の秋」を「コゾのオータム」=「小僧の会ふた夢」

谷崎に「小僧の夢」という作品があるからです。


「小僧(去年)の秋」の「秋」を「紅葉」と読めば「小僧の神様」になっちゃう!


さらに深沢「白鳥の死」は白鳥=スワン=吸わんで、「近縁者の死」と解釈しました。

これがヒントで「白鳥」が煙草関連とピンときました。

四暗刻のヒントは「春の雪」です。

皇族が麻雀に凝っているというウソ臭さ。


最近読んだ開高健作品集」のあとがきに、「飢え」の時代について「斜陽」などと言っているレベルじゃなかったと書いている。

メタファー作家の言葉は額面通り受け取ってはいけない。

固有名詞は意味がある。

それで「斜陽」は怪しいと睨んでいました。


さらに、「細雪」を解読していたとき、「異端者の悲しみ」だった気がしますが、谷崎が誰かに「志賀直哉より上手いだろ」みたいなことを言ったと書いてあった。

ライバル意識があるのかなあと思った。

「両方俺が書いたんだけど。わかんねーだろうなあ」というギャグ?



「暗夜行路」に「裏源氏」が入っていたら「正義は太宰にあり」。

「桜桃忌」までにチェックしてみます。

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by ukiyo-wasure | 2018-06-10 13:38 | 作家 | Comments(0)

三島「作家論」の暗号が解けた!


前の記事で、三島の「作家論」に、谷崎の「金色の死」川端の「禽獣」が取り上げられていて、超意味深だと書きました。


コレです。
https://tamegoro.exblog.jp/28259083/



「太陽の季節」と「灰色の教室」のタイトルの意味を解読していたら、ピカッと来たのです。


和歌のテクニックで度々出て来るのが「か(下)」「き(棄)」ですが、「の」もかなり使い勝手が良い。


「なにぬねの」で、「の」は「ね」の下


「の」だけで「下ね」=「金」に変化する。


コレを使っているのが「金色の死」です。


「禽獣」とは「キン」つながりですが、ポイントはそこじゃない。


「禽獣」谷崎説の根拠は、スカシで「裏源氏」が入っているから。


「源氏」の「野分」は、「野を分ける」=野衾なのです。

野衾は、ムササビ、モモンガ、それからコウモリのことも言う。

「動物なのに飛ぶ」生き物、鳥のようで獣のようでもあるってこと。

一言でいうと「禽獣」です。

「禽獣」という題名は「裏源氏」の1アイテムなのです。


「禽獣」=ノブスマ=野分=「の」は「き」=「の」は「金」


*「金瘡小草(きらんそう)」など「金(き)」があります。
「隣は何をする人ぞ」も「金」=「き」です。



「禽獣」と「金色の死」は「野分」つながり。


どっちも谷崎の作という、未来の読者へのメッセージだと思います。

それでも、ノーベル賞の推薦をしなければならなかった。

どんな重たい「義理」があったのでしょうか。




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by ukiyo-wasure | 2018-05-01 12:04 | 作家 | Comments(0)

魯山人と谷崎


魯山人が大好きでーす。

だから「美食倶楽部」が谷崎の小説から取ったということを知り、不思議な縁(えにし)を感じました。

ベンジーが好きで、椎名林檎さんも好きで、そうしたら、林檎さんもベンジーのファンだったという。

こうゆうのは、よくありますよね。

コレが好きな人って、大抵こっちも好きってゆう。

魯山人の「星ヶ岡茶寮」ね。三島の「春の雪」にも、さりげなーく、入っています。

うーん、そんなことは置いておきまして、魯山人と谷崎をつなぐものは何か。

私の勝手な妄想ですが。

キリスト教かもなあ……って思う。

新渡戸稲造をウィキで見ると、谷崎とツーショットの写真がある。

キリシタンというのか景教というのか解りませんが……。

今は西暦2000年越えですから、話は超大昔。

和歌や俳句を解読していたら、何となくね、平安時代より前にキリスト教が入って来ていた気がするのです。

禅宗とか山伏も怪しいけど、神道がそうじゃないかって感じ。

「いろは歌」は「咎なくて死す」。これキリストのことじゃね?


魯山人のお父さんは賀茂神社の神職の人でした。

「賀茂」を、和歌の解読方法を当てはめると「下も」

「いろは歌」だと「下も」は「せす」


  せす=ゼウス

でね、明治維新になったでしょ。

すると廃仏毀釈。

一気に西洋化して、仏教を棄て神道を残した。

神道=キリスト教(景教)なら、納得できる。

だって、イギリスがバックアップしたんですから。

皇室の乗り物、何で牛車じゃなくて英国式馬車なの?

……って、思ったり。


あーあ、文才があったら古代ロマン小説が書けるのになあ……。





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by ukiyo-wasure | 2018-04-26 03:38 | 歴史 | Comments(0)

谷崎「金色の死」はツボった!


三島の「作家論」谷崎と川端があったのね。

谷崎の方は全集に添えられたもので、1970年に書かれているわけ。

もう「覚悟」を決めている時期

取り上げている作品が、なぜか「金色の死」(1914年)。

川端では「禽獣」に触れている。本人が嫌いだと言ったことで有名。

「禽獣」も谷崎の代作ね。


単純に考えると「キン」つながり

「禽獣」の主人公と「金色の死」の岡村君は、似ているかもしれない。

一応、「金色の死」十一章に「禽獣」という言葉が出てきます。

それで、三島は、後世の読者に「気づいて欲しい」というメッセージを残したのではと思う。

だってね、谷崎論がまったく「読めば解る」という表面的なことしか書いていない。

ワザとというか、そう書くしかなかったのでしょう。

このことについては、もっといろいろあるので後ほど。



谷崎の「金色の死」に戻ります。いやあ〜最高!


主人公には岡村君という、子供の頃からの友だちがいる。
大富豪で秀才で、器械体操もできる。
二人とも芸術家を目指している。
二人の会話は芸術や哲学などにおよぶ。
フランス語が原文で引用されたりしている。
大人になって、主人公は作家として世に出るが、岡村君は、お金に任せて箱根に広大な敷地を買い、有名な彫刻や仏像などを真似たものを庭園に並べたり、生きた人間にいろんな扮装をさせたりして……テーマパークのようなものを作り上げる。
最後は、自分自身が金粉を全身に塗り、それが原因(皮膚呼吸ができない)で死ぬ。


最後引用します。

紀文や奈良茂のやうに無意味な豪遊を試みてさへ、後世に大尽の名を歌はれるのですから、彼の名前は尚更不朽に伝はらねばなりません。しかし世間の人々は、彼のやうな生涯を送った人を、果して芸術家として評価してくれるでせうか?





しませーん。超くだらないと思いまーす。


「金色の死」の意味は、全身を金色に塗りたくって死んだから。


ブーーーッ。


潤ちゃんは、しかつめらしいことを書いて、

「こんな難しいことが書いてある小説が、読めるオイラはエラいんだぞ」

てな輩を小バカにして、テヘペロなのです。


題名の解読いきまーす。

金=マネー 

=しき=し棄=「死」は消える

「の」=「なにぬねの」で「下ね」=金=マネー

色と死が消えて、残るのは「マネーマネー」


 金色の死=2マネー=つまんねー




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by ukiyo-wasure | 2018-04-20 20:25 | 作家 | Comments(0)

「瘋癲老人日記」は「深沢びいき」と読む


「掌の小説」の「雪隠成仏」が、落語か小咄で聞いた覚えがある。
江戸の小咄の本があったはずと、押入をゴソゴソしていたら、三島「作家論」が出てきたのです。

パラパラしたら、谷崎と川端についても書いている。

そのことについては、確認したいことがあるので置いておきまして、「瘋癲老人日記」についても書いていました。

そういえば……と、思い出したのです。

「深沢本」「谷崎本(細雪)」を書いた、一昨年(2016年)の時点では、「源氏」や和歌、俳句が読めていませんでした

深沢や谷崎が、どれだけ古典のテクニックを駆使しているか、まったく知らなかったのです。


「瘋癲老人日記」は、「風流夢譚」直後の深沢に対するエールだということは読めていました。

「風流」は「フール」という意味ですから、それに引っ掛けて「フーテン」をわざわざ漢字にしたのだろうと解釈し、本にもそう書きました


甘かった。潤ちゃんは、そんなテキトーなことは断じてしない!

タイトルこそが作品の「真相」だからです。


あらためて、解読いきまーす。


 瘋癲=ふうてん=ふ雨天=ふ傘=ふかさ

 老=老人の自称。つまり吾=わ

 人日記=ひいき

続けて読むと、


  深沢びいき


「うてん=雨天=傘」これが上手い。


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by ukiyo-wasure | 2018-04-19 01:58 | 詩・文芸 | Comments(0)

「掌の小説」の「眠り癖」はラッコ!


「童謡」に「私、口を開けて眠る?」というシーンがあって、ははん、「眠り癖」も谷崎の代作かと思いました。

これは、ちと、ややこしいので、よーく聞いて(読んで)ね。


カップルがいて、若い頃の回想。
寝るときに、離れないよう、腕枕をしたり、女性が髪の毛を相手の腕や首に巻き付けていたが、眠ると力が抜けて離れている。
そんな過去があったけど、今では、意識せずとも、相手の身体に触れて寝るのが「癖」になっている。
そんな、きわめて、とりとめもない話。


これも、国語の読解問題に出しちゃマズイ系ですね。



「眠り癖」というタイトルが、ものすごーくアヤシい。

皆様、「眠り」とくれば、何が続きますか。

眠り姫? 眠狂四郎?

ここはやっぱ「眠り猫」でしょう。


=へき=「いろは歌」の「ほへと」の「へ棄」

「ほと」が残る=音  音=ネ

眠り癖=眠りネ=「眠りネコ」の「コ」がない

「コ」がない=落コ=ラッコ(海獺)

たしかに、ラッコは海草を巻き付けたり、仲良く手をつないで眠ります。回想を海草にかけている?


Google画像で見てね。カワイイなあ、手つなぎネンネ。


しかーし、小説の方は人間ですから、ちょっと納得いかない。

もう一歩、深く、読み込まないとダメでしょう。


獺の字ですが、一文字でカワウソと読む。

川獺もカワウソと読む。

だ・か・ら、獺=ウソ

ホラホラ、来てまーす。

前に「海」という作品が「シ毎」=終いでした。

シ毎=仕舞と読めば、首尾の意味。

首尾とは終始(全部)ってことで、つまり


 
 眠り癖=ぜーんぶウソぴょーん!



潤文学って、カッコいいなあ。

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by ukiyo-wasure | 2018-03-26 11:23 | 詩・文芸 | Comments(0)

「掌の小説」の「化粧」笑いの正体


「掌の小説」の「化粧」です。

これも谷崎臭、ぷんぷん。


主人公の家のトイレは、葬儀場のトイレと向かい合っているため、葬儀に訪れた女性たちが、トイレで毒々しい化粧(直し)をしているのを度々目撃する。
それが奇怪な印象として残っていた。
ある時、十七八の少女が、トイレで激しく泣いていた。
ああ、この子だけはトイレに「泣くために」来たのだ。と、心が洗われた気分になっていると……、以下引用します。


 全く思いがけなく、彼女は小さい鏡を持ち出し、鏡ににいっと一つ笑うと、ひらりと厠を出て行ってしまった。私は水を浴びたような驚きで、危く叫び出すところだった。
 私には謎の笑いである。



これは難しかった。寝ながら読んで、朝目覚めた瞬間解りました。

「笑った」んじゃあないのです。



   歯をチェックしたのです。



一人称であることを使って読者を引っ掛けるテクは谷崎の常套手段。

「私」が「見た」「聞こえた」「思った」はリアルとは限らない。

「笑った」のではなく「笑ったように見えた」が正しい。


   化粧=バケ粧=歯化粧



葬儀場にしたのは「死化粧」に掛けた。




追記

この「掌の小説」にしろ「楢山」「細雪」にしろ、巻末の解説が的外れなことを書いている。

仕方がないと思う。私だって、二年前までは「読めなかった」。たまたま、深沢の「ポルカ」で気づかされてここに至るですから。

そう考えると、文学賞の応募作品に、このような「構成」に凝ったものや、多重構造のものが混じっていたら、下読み段階で捨てられる可能性が高い。作者の意図を、一晩も考える「下読みさん」はいないでしょ。
なぜここで文体が崩れるんだ?とか、絶対に考えないと思う。「文章がまずい。ヘタクソ」でポイ。

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by ukiyo-wasure | 2018-03-25 11:11 | 詩・文芸 | Comments(0)

間違いなく川端本人の作品はどれ?


川端康成の「伊豆の踊子」も「雪国」も「舞姫」も「古都」も「みづうみ」もアレもコレも、じつは谷崎が書いたんじゃないのって思っているわけでございます。

じゃあ川端本人が確実に書いたのはどれ?なのです。

「色彩を持たない〜」に取り上げられていないもので、「掌の小説」以外です。

しかーし、「乙女の港」が代作だとなると、他の作品も、伊藤整とか三島由紀夫とかの代作かもと疑ってしまいます。

間違いなく本人が書いたといえるのは随筆や評論でしょうか。

それと、川端は谷崎について、何か書いているのでしょうか。

お葬式には出たのでしょうか。

だってね、「古都」で「細雪」から引用している(ことになっている)。

世間的には谷崎へのオマージュとされていますからね。


それと、ここに来て、物凄く気になるのが、三島の「豊饒の海」。

このタイトル、ホニャララと読めるぞ!……なのです。

確認したいのですが、全4巻で、あの文体ですからね。
 
漢語びっしり、膨らまなかったスポンジケーキみたいに、ふんわり感が皆無。

考えただけで目眩がしてくる。

三島ファンのどなたか、文壇の秘密を暴露している内容かどうか、解読してみていただけませんか。



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by ukiyo-wasure | 2018-03-23 23:23 | 詩・文芸 | Comments(0)

川端「童謡」に谷崎が残したメッセージ


「童謡」を書いたのは谷崎だろうと、前に書きました。

「源氏物語」というスカシが入っているからです。

だから、というのも変ですが「童謡」=「盗用」だと察しがつく。

雨雨ふれふれ母さんが〜♪の歌が冒頭に出てくる。

「掌の小説」の「時雨の駅」のことだと推理。

「童謡」は「色彩を持たない〜」第6章と一致でしょう。

ネクタイやサラリーが「時雨の駅」のサラリーマンを表している。

ところがね、他にも「掌の小説」中の作品を表しているようなワードが出て来るのです。

「万歳」「男っぽくなっていく芸者(馬美人)」「金弥(金糸雀)」

「掌の小説」は全部読んでいないけれど、まだまだ谷崎が書いたものがありそう。


とりあえず「時雨の駅」について。

サラリーマンの帰宅時間に、妻たちが傘を持って迎えに集まる。

主人公は作家。駅を出ると「隣の細君」に傘を押し付けられる。

どうゆうことかというと、その細君集団の中に昔の恋敵がいて、彼女に対する見栄のために「私、作家と結婚したのよ」と思わせる。

化粧していない妻たちの中で、その恋敵一人はバッチリ化粧。他の妻たちを「女房一揆」と揶揄する。

ライバルの女は、対抗心を燃やして、サラリーマンの夫ではなく、たまたまやって来た有名俳優と帰って行く。

「隣の細君」は自分の夫を駅で待ち続ける。五時間後、電車を降りて来たのは、恋敵の夫、つまり、昔ふられた相手。

彼女は自分の夫ではなく、彼に黙って一本の傘を渡す。

こんな話です。


これは谷崎じゃないと、はじめは思いました。

だってちゃんと「オチ」まで語られている。

「隣の細君」と昔の恋人がくっつくかもという感じは抱かせるけどね。


タイトルに注目です。谷崎なら「トリック」ありです。

「時雨」は曲者度がハイレベルのワード。

四がグレて目になる。

目=アイ=藍。

「女房一揆」という言葉が出てきました。

藍=群青=郡上。郡上の駅(役)=郡上一揆?


うーん、つまんないダシャレ。読み違いか?


駅=役=乱なら、時=じ=二。雨=さめ=魚=とと

時雨の駅=二度と乗らん?

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by ukiyo-wasure | 2018-03-19 01:04 | 詩・文芸 | Comments(0)