「奥の細道」の謎


芭蕉や其角を解読していたら、蕉門はキリシタンという結論に至りました。

「奥の細道」もそうですが、なぜか全国に知り合いがいて、行く先々で大変厚くもてなされている。

阿片を吸わしてもらったり、ストリップを見せてもらったり、古酒を飲ませてもらったり。

不思議じゃありませんか。通信網がない時代ですよ。

蕉門なんて、そんな伝統もあるわけじゃないし。

ネットで調べてみると、空海が唐から景教(キリスト教)を持ち込んで、それが真言密教であるという説が見受けられます。

私も、戦国時代に入ってきたキリスト教ではなく、もっと昔からあるキリスト教のネットワークが、全国にあるのではと思いました。


山頭火も似ている。托鉢をして生活をしていることになっていますが、どこへ行っても厚遇されている。九州から東北まで知り合いがいる。

俳句の付き合いにしては、親密すぎる気がします。


現在はどうなんでしょう。

このネットワーク、今もあるのでしょうか。





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# by ukiyo-wasure | 2018-02-18 00:53 | 古川柳・俳句 | Comments(0)

表出20個のナンプレ


言葉に疲れたときは、無意義なナンプレを作ると脳がリフレッシュできます。

表出20個。御笑味ください。


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# by ukiyo-wasure | 2018-02-17 02:23 | パズル | Comments(0)

「ダンス・ダンス・ダンス」伊藤整?


「ダンス・ダンス・ダンス」第33章も、難しかった。

「愛」とか、ノーベル賞とか。これは伊藤整のことかなあ……。

川端康成のノーベル賞を祝って、三島由紀夫と伊藤整の三人が座談。

この映像がユーツベにあって、見ました。


山頭火のどの句か、自信ないのですが、


 蝿も移ってきている


……かなあ。 蝿=I=伊藤整のイニシャル。


1936年の句ですが、この年に伊藤整が金星堂に入っている。

「移ってきている」が解読できません。

伊藤整については全然知らない。

ただ、深沢の「楢山節考」が中央公論の賞を取ったときの選考委員の一人ということで名前だけは知っていた。あとは三島由紀夫と武田泰淳です。

映像を見ると、川端や三島と近しい関係にあったことが解ります。




追記

これで、戦前戦後の文壇のドロドロとはオサラバ。

「国境の南、太陽の西」解読に取りかかります。

ものすごく楽しみです。絶対に芭蕉だと思う。

「古池や」や「旅に病んで」がどういう解釈なのかワクワクします。

全然違うことが書いてあったら大笑いですね。


猫が死んじゃって、残っていたマタタビ粉を日本酒に入れて飲んでいます。

猫缶も残っていて……お好み焼きならイケるかな。

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# by ukiyo-wasure | 2018-02-16 23:38 | 作家 | Comments(0)

「雪国」よ、お前もか。


「ダンス・ダンス・ダンス」が山頭火の句をテーマに書いているということで、一応読み終わったのですが、第42章が「雪国」のこと
書いていると思われ、繰り返し読んでいます。

「雪国」を一読したかぎりでは「源氏物語」のスカシが入っていることが解りました。「みづうみ」と同じです。

けれど、それだけじゃない気がしています。


「雪国」は連載小説で、それぞれに題が付いています。


1935年(昭和10年)
 「夕景色の鏡」 - 『文藝春秋』1月号
 「白い朝の鏡」 - 『改造』1月号
 「物語」 - 『日本評論』11月号
 「徒労」 - 『日本評論』12月号

1936年(昭和11年)
 「萱の花」 - 『中央公論』8月号
 「火の枕」 - 『文藝春秋』10月号

1937年(昭和12年)
 「手毬歌」 - 『改造』5月号


前の記事で小野小町「花の色は」を取り上げました。

「いたずら」=鏡でした。

逆に考えると、鏡=イタズラにもなる。


「夕景色の鏡」「いたずら」と読むとね、「いたずらもの」ネズミの別名、そして鼠=泥棒。

深沢の「江戸風ポルカ」にも、「この、いたずら者」と娘を泥棒と間違える父親が出てきます。

冒頭の列車内で、人差し指を曲げてみて云々という描写があります。

とってもHな連想を呼ぶ描写です。

そう思わせておいて実は「指をカギ形」で泥棒を表していると思われます。

それで匂いを嗅いだりする。これ、「伊豆の踊子」の薫のイメージです。

「夕景色」は「湯気色」と読めるし。夜汽車の窓が曇るのは、まるでお風呂場の鏡が曇るのに似ています。

「夕景色の鏡」とは「板間かせぎ」かと。

そうなると「白い朝の鏡」は「枕さがし」で「物語」は「騙り」

まだ勘の段階ですが、「伊豆の踊子」が「筆の盗人」と読めたように、真の作者が、読む人が読めば解るような「仕掛け」をしたのではと思われるのです。

代作は双方が納得してやるわけですが、代作者が借金やら何やらの事情で断れなかった場合、後世の読者にメッセージとして残したのかもしれません。

ノーベル賞作家に大変失礼な疑いを掛けているわけですが、深沢の小説を深読みし、彼が「川端賞」を辞退した理由が「殺生なことはできない」と、極めて意味深の発言をしたのを考え合わせると、あり得ると思うのです。

代作者は「伊豆の踊子」と同じで、谷崎かなあと思う。

太宰はこのとき26歳。……うーん、どうなんでしょう。

いずれにしても、発表された時点で、谷崎は置いておき、太宰、山頭火、中也、伊馬鵜平、荷風、深沢は確実に仕掛けに気づいていたはずです。

泥棒関係が盛り込まれているのではと思ったのは「ダンス・ダンス・ダンス」43章の「簡単だ」「すごく簡単だ」からです。

「邯鄲師」=「まくらさがし」


「雪国」関連でいくと、最初の方は「トンネル栽培」。トンネル形のビニールハウスです。「泣く」「涙を流す」は「水やり」。「殺す」という物騒な言葉は、野球用語と考えて「トンネル」。キキと主人公が壁を通り抜ける場面は「トンネル効果」を表していると思われます。

この章は、まだまだメタファーが多くて謎だらけです。

興味のある人は、そういう視点から「雪国」を読んでみてください。引っ掛かる部分がたくさんあるはずです。







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# by ukiyo-wasure | 2018-02-16 21:40 | 詩・文芸 | Comments(0)

北斎が描いた「花の色は〜」の真実


北斎「乳母が絵解き」です。



9番 小野小町の有名な歌

  花の色は うつりにけりな いたづらに
     わが身世にふる ながめせしまに



学校では教えない解釈はこちら。
http://tamegoro.exblog.jp/26772255/


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洗い張りをしています、「板面」に。

これが「いたづらに」を表している。

これだけじゃ、コジツケと思われちゃう。

アップでどうぞ。

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手前の女性、なぜか手が「チョキ」


カニ拳=「か」が二つで「かか」、拳=見。


  かか見=鏡


こういうのは、鑑識官のつもりで、ルーペで見ないと発見できません。



ちなみに「羊をめぐる冒険」下巻の初め、7-1と一致すると思われます。

「いるかホテル」の登場です。イルカの鳴き声「キュー」が歌番に掛かっているかなあとも思いました。

時計と大きな姿見、入れ替わる細胞……失われて行く「若さ」です。

お持ちの方、ぜひご確認を。

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# by ukiyo-wasure | 2018-02-16 17:17 | 美術 | Comments(0)