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深爪に見る「写楽=北斎」説



写楽=北斎と信じています。

根拠は、表現しているものが共通だというのと、ギャグのセンスが同じだから。

まあ、説得力ないですよね。


なので、見た目で、コレはどうでしょう。



まずは北斎の「金太郎」春朗時代の作品です。

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指と爪に特徴があります。


・第一関節が長い

・深爪。先がまっすぐ。


こんな感じ。

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写楽の指、いきます。

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ついでに金太郎の「足」
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写楽の「大童山の足」親指に注目です。
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by ukiyo-wasure | 2018-03-31 18:45 | 美術 | Comments(0)

深沢と三島、ホントは仲良しだった?


深沢はエッセイなどに、思いっきり「三島の悪口」を書いています。

ついこの前まで、それを信じていました。


「あれは少年の文学」

三島事件については、

「結局書けなくなった。淘汰された」

「ケンカ売ってんのかと思った」

「空っ風野郎」の作曲のお礼に、高級中華料理をご馳走になったことについて、「八王子の○○飯店の餃子の方がウマい」とかね。


深沢という人をよくよく考えてみると、表に出しているのはぜーんぶウソ。

真実、本心は作品に込めている。

「笛吹川」=「武田(泰淳)呪ふ人」だし。


二人の親交を隠したかったのだと思う。


で、三島と深沢をつないでいるのが、

義理と人情を〜♪の「唐獅子牡丹」なのでした。

三島事件の日、車の中で歌ったと伝説になっています。

深沢は「谷崎賞」の授賞式で、替え歌にして踊り付きで披露。



国会中継を見ていても、日本人は義理……

「誰のおかげで今のお前があるんだ?」に弱い。


「昭和残侠伝」がカッコいいのは、最後は「人情」あるいは「正義」を取るから。

命と引き替えですから、ほとんどの人には無理。

「俺は男だ!」と普段威勢のいい人も、イザとなったら長いものに、ぐーるぐる。

そこで作家は「魂までは売らないぞ」と、作品に真実を込める。

谷崎も太宰も深沢も三島も、未来の読者だけを頼みに死んでいったんだろうなあ、千年前の歌人たちのように……。



追記 2018.6.3

考え変わりました。
三島のイメージも変わりました。
深沢は、マジで三島が嫌いだったのだと思う。



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by ukiyo-wasure | 2018-03-31 12:26 | 作家 | Comments(0)

「豊饒の海」=「クサい芝居」と読める


深沢、谷崎、川端、石原慎太郎さんなど、当時の文壇の事情が見えてくると、やっぱ、三島由紀夫が無視できない。

あの文体ですからね、できれば避けて通りたい。

でも気になる。

だって「海」は、春や雨や雪などと同様、色々に化けます。

「掌の小説」「終い」「仕舞」と読みましたから、「芝居」とも読めちゃうわけ。

ここでふと、「深沢本」を書いていたときのことを思い出してしまった。

「ほうじょう」と打つと「豊穣」と変換される。

三島の方は「豊饒」。月にある「豊かの海」のことです。

なぜ「豊穣」にしなかったのか。


「豊饒」はね、ホウニョウとも読むのです。


小膝をポン。ああ「放尿」か。


なるほど「豊饒の海」=「クサい芝居」


「クサい芝居」をしているのは、川端康成


とまあ、以上が仮説でございます。



それで、図書館から借りてパラパラ読んでみました。

きわめて、とりとめのない、伏線を回収しない文章。

読みにくくて苦痛です。

「美文」といわれる三島が、なぜこんな、誰の視点かも解らないグチャグチャな文章を書くのか。

たぶん「メタファー」を散りばめたから。


50ページくらいで、

「合掌」「時計」「指環」「写真」「馬車」「二十歳」「手紙」と、谷崎が代作した作品と関連したワードが出て来る。

「滝で死んでいた黒犬」も意味深です。


特にワザとらしい感じがしたのは「撞球」

屋敷に玉突き台があって父親の侯爵とやる。

「掌の小説」に「玉台」というビリヤードの作品があります。


そしてね、ああっ!となったのがココ。

引用します。



ステッキの先で小石を飛ばしながら歩いていた酔った侯爵は、突然、かう言った。
「お前はあまり遊ばんやうだが、お前の年頃には、私なんぞ幾人も女がいたものだ。どうだ今度連れて行ってやるから、芸者を大ぜい呼んで、たまには羽目を外しては。何なら、学校の親しい友だちを一緒に引っぱって行ってもいい」
「いやです」
清顕は身を慄はせて思はずさう言った。


めっちゃワザとらしい。取って付けたようなシーン。


「掌の小説」「十七歳」「イヤデス」が出てきます。

こちら、どうぞ。
https://tamegoro.exblog.jp/28207150/


三島ファンはものすごく多いし、三島事件も動機は謎の部分が多いみたいですね。

「豊饒の海」こそ、遺書の気がします。

私には、この文体は苦痛です。

どなたか、解読に挑戦してみませんか。

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by ukiyo-wasure | 2018-03-31 03:15 | 詩・文芸 | Comments(0)

「掌の小説」の「日向」の謎


「掌の小説」の「日向(ひなた)」について。


冒頭が「骨拾い」で、川端の少年時代の私小説的作品。「日向」は3番目に載っている、これも私小説というか随筆みたいなスタイル。

人の顔をジーッと見つめる、有名なについて書いている。

だから、いくら何でも、これは自分で書いたでしょと思った。

でもねえ、引っ掛かるものがあったの。

「時雨の駅」も、同じ理由で引っ掛かったのね。

「時雨の駅」は、隣の奥さんが、「作家の妻であることを自慢」するために、主人公の妻のフリをして傘を渡す。

悩みましたね。

作家じゃない人が書いたとしたら、別にいいのです。

これって、超得意げじゃね? 読者に反感買うでしょ。作家の妻って、そんなに憧れなのか、何自慢してんの?

読んでいて恥ずかしかった。

つまり、谷崎がワザとやっているのだと気づいた。


「日向」も似たような恥ずかしさがある。

何をいい人ぶっているんだ。日本人の美意識である「謙遜」に欠けているゾ、なのです。


それで、じっくりと疑って読みました。


人の顔をジロジロ見る癖は、目の不自由な祖父と暮らしていたとき、祖父が日向(南)ばかり向くので、それをジッと見ていたことによる。


ま、そういう話です。


 へえ、夜は?


いやいや、ポイントはそこじゃない。

長いけど、ガンバって引用します。



 祖父は何年も同じ部屋の同じ場所に長火鉢を前にして、東を向いて坐っていた。そして時々首を振り動かしては、南を向いた。顔を北に向けることは決してなかった。

 ある時祖父のその癖に気づいてから、首を一方にだけ動かしていることが、ひどく私には気になった。度々長い間祖父の前に坐って、一度北を向くことはなかろうかと、じっとその顔を見ていた

 しかし祖父は五分間毎に首が右にだけ動く電気人形のように、南ばかり向くので私は寂しくもあり、気味悪くもあった。

 南は日向だ。南だけが盲目にも微かに明るく感じられるのだと、私は思ってみた。



つまり、こうゆうことです。

祖父は西を背にして、東向きにいる。

主人公は、東を背にして向き合っている。

祖父はこの絵と同じ状況です。


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右向きですか、左向きですか。

普通はね、「左向き」という。「向かって」と、いちいち付けない。

小説の表現に戻ります。

主人公は、子どもでありながら「祖父にとっての右」を言っている。

普通は、「西」を向いたときの「南」ですから「左」でしょ。

きわめて、不自然です。

谷崎がハメたのだと思います。「伊豆の踊子」と同じシカケ。


「伊豆の踊子」の謎は以下に。


「日向」は「ひゅうが」と読めば「宮崎」。伊豆からは「西」。

方角に注意せよ。主人公は西向きだぞってことでしょう。

谷崎のやりそうなことです。

どう思います?

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by ukiyo-wasure | 2018-03-29 21:55 | 詩・文芸 | Comments(0)

西行「願はくは」は「恨が湧くは」


今の時期にぴったりの、西行の有名な歌。


 願はくは 花の下にて 春死なん 
  そのきさらぎの 望月のころ


東京は満開。霞か雲か♪状態でございます。

で、この歌ですが、和歌の本質に目覚め、西行という人のイメージも何となく解ってきた今となっては、絶対に「裏(心)」が込められた歌だと確信しています。

それを「読めた」人が、昔はたくさんいたから、西行さんは人気者として、数々の伝説を残しているのだと思います。



まずね、花と春と「きさらぎ」と、しつこい!


では、私なりに解釈してみます。

基本は「詩人は弱い者の味方」


ねがはくは=「ね」=根(恨)が湧くは

花の下=八七の下は。上五=上戸=

春死なん=主(あるじ)なん

酒の主=米

その=租の=年貢


「きさらぎの望月の頃」は以下をご覧ください。


 33番 紀友則

 ひさかたの 光のどけき 春の日に
      静心なく 花のちるらむ


解釈はコチラ。

北斎「乳母が絵解き」


望月=餅つき=精米


 恨が湧くは米難 

   租の如月の精米の頃



確定申告、納税の時期と一致で笑える。




余談ですが、この多重構造を、俳句でやったのが芭蕉や其角、山頭火など。小説でやったのが紫式部であり、谷崎、深沢、村上春樹さんだと思うのです。

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by ukiyo-wasure | 2018-03-29 12:18 | 詩・文芸 | Comments(0)

「掌の小説」書いてみた

「掌の小説」風に、面白そうなので作ってみました。


『タンポポ』

 幼なじみのタンポポから、二十年ぶりでハガキが来た。
「タンポポ」という名のカフェを出したという。
 タンポポは、言うまでもないことだが彼女の実名ではない。
 僕が子どもの頃につけたあだ名だ。

 店の名がタンポポか……僕は胸がキュンとした。
 ハガキの裏に、子どもがクレヨンで描いたようなサンドイッチの絵があった。

 “自慢は天然酵母パンのハムサンドでーす”
 
 また胸がキュンとした。
 覚えていたのか……。

 小学校へ上がる前のことだ。
 春の日、僕の家の庭でママゴトをしていた。
 レストランごっこ。
 僕が客で彼女のお店にやって来た。

「いらっしゃいませ。何を食べますか」
「えーと、オムレツ」
「ちょっとお待ちください」
 彼女は庭に生えているタンポポの花を三つ四つ、玩具の皿にのせて出した。
「ムシャムシャムシャ。ごちそうさま」
「あとは何か食べますか」
「うーん、じゃあ、ハムサンド」
「ちょっとお待ちください」
 彼女はさっきと同じように、タンポポの花を三つ四つ、玩具の皿にのせて出した。
「えー、違うじゃん」
「違わないよ」
「変だよ」
「変じゃない!」
「変だよ。バッカじゃねーの」
「ああ、バカって言っちゃいけないんだよ」
「だってバカじゃん」
 こんな風にケンカをしてしまった。

 家から母親が出て来て仲裁したのだけれど、その夜、母がいうには、彼女をバカ呼ばわりしてはいけない。今度、天才少女としてテレビに出るのだという。

 小学校へ上がったとき、彼女は引っ越してしまったが、親同士は仲良くしていたから住所は知ることができただろうが、突然こんなハガキをよこすとは……。

 きっと僕は、彼女の初恋の相手だったのだろう。




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by ukiyo-wasure | 2018-03-28 15:07 | 詩・文芸 | Comments(0)

「掌の小説」の「屋根の下の貞操」は伝書鳩


「童謡」に「見ず知らずの人に葉書を出す」というような表現があります。

なので、これも谷崎の代作だと思う。


ーーー午後四時公園の丘でお待ちいたします。
ーーー午後四時公園の丘でお待ちいたします。
ーーー午後四時公園の丘でお待ちいたします。
彼女は三人の男に同じ速達郵便を出した。


と、始まります。

全体にイミフです。


伝書鳩のことと気づけば、すべて納得できます。

タイトルの解読です。


屋根の下=天井=天上

貞操=逓送(郵便)


彼女=美女=ピジョン


おおっ、「ねじまき鳥クロニクル」じゃん!



じつに谷崎らしい、シラッパクレ表現がコレ。


彼女は今ぽっとこの世に生まれたかのように美しく微笑んだ。


お持ちの方、そうゆうつもりで読み直してみてください。

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by ukiyo-wasure | 2018-03-28 13:05 | 詩・文芸 | Comments(0)

「掌の小説」の「夏の靴」の真相


「掌の小説」の「夏の靴」。

これは、昔読んだことがあって、何となく記憶に残っています。


感化院から脱走した少女が、乗合馬車に乗せてもらう。
御者の男は、脱走とは知らないけれど、裸足(靴下だけ)で血が出ているから気の毒に思い乗せてやるわけ。
港まで乗せて行ったんだけど、さて、帰りもまた、その少女がやって来て、結局、乗せて戻る。


ラスト引用します。


「おじさん、ここで下ろして頂戴」
勘三がふと道端を見ると、小さい靴が一足枯草の上に白く咲いていた。
「冬でも白い靴を履くのか」
「だってあたし、夏にここへ来たんだもの」
少女は靴を履くと、後も見ずに白鷺のように小山の上の感化院へ飛んで帰った。



読んだ人も多いでしょう。

最大の謎は、少女は何をしに港へ行ったのか

なぜ、トンボ帰りなのか。

……ですよね。



答えは題名にありました。


夏の=下の=「いろは歌」で「の」の下は「おくやま」

「古都」でも出て来た気が……「お(ほ)くやま」=北山

北山とは、落語なんかによく出てきますが「空腹」のこと。



   夏の靴=空腹、苦痛



ま、そんなもんでしょう。

年齢が十二三歳というのもヒントですね。

小学生の家出もこんな感じ。

自由になっても、腹ぺこには勝てないってことで。


「童謡」に軍歌が登場します。


 飢え迫る夜の寒さかな♪


とゆうことで、これも谷崎作に一票!



追記

「夏の靴」は「白い靴」からの改題です。あと、「海」も「朝鮮人」だった。

こんな想像をしてみました。

「番頭のイトウちゃん? 蘿洞 だけどさあ、『白い靴』じゃあダメだよ。タイトルが大事なんだから。……もしかして、サゲが分かってない?読者をナメたことして、インチキがバレても知らんよ」

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by ukiyo-wasure | 2018-03-27 02:19 | 詩・文芸 | Comments(0)

「掌の小説」の「時計」はセイコー


「時計」は前に解読した「指環」とセットだそうです。

てことは……仕掛けアリですね。

これもややこしいので、よく聞いて(読んで)ね。


貧しい法学士が、知り合ったばかりの女性と、芝居の帰りにタクシーに乗る。
男はコンプレックスと虚栄が混じり合って……かどうかは知りませんが、あまり爽やかじゃない印象。
女性の腕をいきなり掴んで「今幾時?」
「あら、駄目ですよ、この時計!」

細い腕に似合わない大きな時計で、それに日本製。和製で旧式であることを恥じる。
でも、母親の形見だから持って歩くのだと言う。



まず題名から。

「時計」=時はか(り) 

「時は金(かね)なり」「ねなり」がない。

=子=五= なり=

正成がない=正成捨=正成社

正成とは何か。服部正成で、ググってね。

というわけで、


 時計=服部精工社(今のセイコー)



こじつけでしょ!という声が聞こえます。


最後に、男の心の声(を、作者が想像する)

「この花やかな女を、彼女の産んだ子を背にくくりつけ、この金時計を持って質屋に行くように作り変えてやろう。」


超イヤな感じでしょ。

こうゆう奴を「僻(ひが)者」という。


   僻者=伊賀者



……お後がよろしいようで。

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by ukiyo-wasure | 2018-03-26 15:56 | 詩・文芸 | Comments(0)

「掌の小説」の「眠り癖」はラッコ!


「童謡」に「私、口を開けて眠る?」というシーンがあって、ははん、「眠り癖」も谷崎の代作かと思いました。

これは、ちと、ややこしいので、よーく聞いて(読んで)ね。


カップルがいて、若い頃の回想。
寝るときに、離れないよう、腕枕をしたり、女性が髪の毛を相手の腕や首に巻き付けていたが、眠ると力が抜けて離れている。
そんな過去があったけど、今では、意識せずとも、相手の身体に触れて寝るのが「癖」になっている。
そんな、きわめて、とりとめもない話。


これも、国語の読解問題に出しちゃマズイ系ですね。



「眠り癖」というタイトルが、ものすごーくアヤシい。

皆様、「眠り」とくれば、何が続きますか。

眠り姫? 眠狂四郎?

ここはやっぱ「眠り猫」でしょう。


=へき=「いろは歌」の「ほへと」の「へ棄」

「ほと」が残る=音  音=ネ

眠り癖=眠りネ=「眠りネコ」の「コ」がない

「コ」がない=落コ=ラッコ(海獺)

たしかに、ラッコは海草を巻き付けたり、仲良く手をつないで眠ります。回想を海草にかけている?


Google画像で見てね。カワイイなあ、手つなぎネンネ。


しかーし、小説の方は人間ですから、ちょっと納得いかない。

もう一歩、深く、読み込まないとダメでしょう。


獺の字ですが、一文字でカワウソと読む。

川獺もカワウソと読む。

だ・か・ら、獺=ウソ

ホラホラ、来てまーす。

前に「海」という作品が「シ毎」=終いでした。

シ毎=仕舞と読めば、首尾の意味。

首尾とは終始(全部)ってことで、つまり


 
 眠り癖=ぜーんぶウソぴょーん!



潤文学って、カッコいいなあ。

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by ukiyo-wasure | 2018-03-26 11:23 | 詩・文芸 | Comments(0)