カテゴリ:詩・文芸( 817 )

私小説って何?


ずっとね、私小説といえば太宰くらいしか知らなかった。

作家の私生活を日記のように書く。

貧乏、病気、失恋、心中、変態……まあ、そんな感じ。

不幸自慢です。

これがないと面白くない。

と、考えていました。

でも違うんだって、最近、目からウロコ。



「私小説」とは、ジャンルでしかない。

たとえばね、悪い奴を最後メッタ斬りにしてスカッ!というテーマで書きたい場合、どういう設定がいいか考えるでしょ。

現代だと、思いっきりドスでバッサバッサとはいかない。

時代劇かヤクザ物にしようかなあって思う。


こういう発想は別に「ヤクザ」を描くことが目的ではない。

高橋弘希さんに「なぜ戦争を描くのか」って質問ね。

「やれやれ」でーす。

西村さんの小説のレビューで、一般人が、秋恵さんの両親から借りたお金を返さないのが許せない!ってあって、超ウケました。

編集者も同じレベルというのが何とも……。


テーマがあって、どのジャンルが最適かというところで「作家の日常という演出」、これが私小説だと思いまーす。

だってね、藤澤の「根津権現裏」は、私小説というジャンルで読ませて、じつは「昆虫」なわけですから。


「唐獅子牡丹」は悪い奴を最後やっつけてスカッ。ヤクザ世界を描くことが目的じゃない。


余談ですが、「唐獅子牡丹」の歌ね。

義理が重たい男の世界〜♪とカラオケで歌って、長い物に巻かれるイイワケにするのは、鬼カッコ悪い。

重たい義理を捨てて、最後は「人情」を取るからカッコいいのでーす

ストーリー、全部そうでしょ。

「義理に負けたな!」っていうセリフ、印象的です。


現代なら「金に負けたな!」って感じでしょうか。




[PR]
by ukiyo-wasure | 2018-09-25 03:08 | 詩・文芸 | Comments(0)

朝吹真理子「きことわ」姉弟の恋愛!


前の記事で「きことわ」=鬼子とは

鬼子とは、親に似ない子の意味です。

b0230759_23315285.jpg

読まないと解りにくいと思いますが。

ブログやAmazonのレビューに、解りやすい「あらすじ」を書いている人がいると思いますので、そちらも参考に。


「きことわ」は貴子(きこ)と永遠子(とわこ)の名前から取っている。

*私は逆で、「きことわ」が先にあったと解釈していますが。



車の中から始まります。(回想シーン)

運転席に春子(貴子の母/この時点33歳)

助手席に春子の弟、和雄(32歳)

後部座席に、

貴子(8歳/小三)

永遠子(春子たちの別荘の管理人淑子の娘/15歳)


永遠子が狸寝入りをしている。

と、春子が、


「ふたりとも眠ったのかしら」


このフレーズ、二回出て来る。

冒頭から、姉と弟がアヤシくなる。



別荘は葉山にある。

毎夏、姉と弟でやって来ている。
二人の荷物……本やレコードが置いてある。

春子が医師と結婚し、貴子が産まれると三人で来る。


*和雄君、他に遊び友だちいないのか……。


管理人の娘である永遠子は、母親抜きで別荘に来て、毎夏、貴子とは歳の離れた姉妹のように過ごす。

春子の夫、つまり貴子の父はなぜか別荘にやってこない。

読み進んで行くうちに、貴子は、じつは姉弟の間にできた子ではないかって思ってしまう。


「スイミングスクール」の世界です。

「スイミングスクール」についてはコチラ。


時は現在に移る。25年後。
春子は心臓病で急死。以来、貴子は別荘に来なくなった。

永遠子は結婚して40歳。小3の娘「百花」がいる。

*和雄はまだ独身。


百花が赤ん坊の頃の「夜泣き」のエピソード。

永遠子は、自分は夜泣きをしなかったと、母から聞いたという。

夫も、自分は夜泣きをしなかったと親から聞いたという。

ここで「親に似ない子」というヒントが出ている。


ピンと来る。

永遠子は、理科や数学などに興味を持つ「リケジョ」として描かれている。

これ、誰に似ているかというと和雄


他にもヒントや伏線がありますが、


 永遠子こそ、春子と和雄の娘。



18歳と17歳の姉と弟が、別荘に来ていて関係を持ち妊娠。

産まれた子を淑子夫婦が引き取った。

これが真相だと思います。

姉弟の子が貴子だとしたら、少なくとも母親には似るわけだから、違う。


毎夏、姉弟で別荘にくるのは、じつの子である永遠子に逢うため。

春子たちは淑子に気を使い、何かと「お金」を払っている。

育てて貰っているからだと考えれば納得。


「対話集」で西村さんが、作品中に出て来る「鴨せいろ」を気にしていました。

「スイミングスクール」ではフォアグラでしたが。


そうそう、「水泳教室」が出て来て、ママになった永遠子が居眠りしているシーンがある。

設定一緒なんですけど……。


和雄という名は「日曜日の人々」に出て来る。

「日曜日〜」はイトコの恋愛でした。



「ふたりとも眠ったのかしら」


この後、オトナ二人はキスをしたのでしょうか。

寝たフリをして薄目の永遠子は、カーブミラーに、その瞬間を見たのかもしれない。


興味のある方、読んでみてください。



*「裏源氏」がスカシで入っています。
リストで全部チェックしてはいませんが、

永遠子の「日光アレルギー」は、「夕顔」=「オトギリソウ」。
こういうズバリの入れ方は初めての気がします。

それと、やっぱり「転がり落ちて骨折」する人。

生霊みたいな描写もあります。

さりげなく「光源」もありました。



前作の「流跡」も興味あるなあ。

このタイトルも、なかなかに意味深ですし。

[PR]
by ukiyo-wasure | 2018-09-25 01:00 | 詩・文芸 | Comments(0)

三島「女方」演出家の川崎は女!


感動いたしました。

ストーリーではありません。

小説としての上手さにです。


三島先生、解説ではこれもトンチンカンなことを書いている。

代筆でしょう。


主人公の増山は、高校生の頃から、歌舞伎役者で真女方(まおんながた)の佐野川万菊に惚れ込んで、大学を出ると歌舞伎界に入る。

作家部屋とありますから、役者ではなく裏方ですね。

真女方というのは、女の役専門だそうです。

楽屋にも出入りして、着替えなど見ても、まったく幻滅しない。

舞台と日常のギャップが感じられないということでしょう。

ある時、新劇の舞台に、歌舞伎役者さんたちが出る事になる。

新進気鋭の演出家による「とりかえばや物語」です。

この演出家の川崎ですが、増山の視点では、


五尺七、八はある長身の男である。彫の深い、男らしい、しかし大そう神経質な風貌をしている。


「とりかえばや物語」は、兄妹が、男女逆に育てられる話。

万菊は、兄の役。つまり、女の子を演じる。

ややこしいでしょ。

演出家の川崎は、歌舞伎役者たちが言う事を聞いてくれないからやりにくそう。

そんな中、万菊だけは素直に従う。

「自分が従うと、皆も従うだろう」と川崎に同情してやっていると、万菊は増山に話す。

ある日、増山は川崎から一番気に入らないのは万菊だ。素直に従っているのが、バカにしている風に取れる」と聞かされる。


芝居が開幕、なかなか評判が良い。

万菊が「恋をしている」と噂になる。

相手は演出家の川崎。

増山は、万菊の「一緒に食事をしたい」という伝言を川崎に伝える。

増山の目からは、万菊は、身も心も「女」


さあ、芝居がハネて、万菊は川崎を待っている。

川崎が来る。

「雪がふってまいりました」と弟子が言う。

玄関です。引用します。


 雪はコンクリートの暗い塀を背に、見えるか見えぬかというほどふっていて、二三の雪片が楽屋口の三和土の上に舞った。

「それじゃあ」と万菊は増山に会釈をした。

 微笑している口もとが仄かに襟巻のかげに見えて「いいのよ。傘は私がさしてゆくから。それより運転手に早くそう言って頂戴」

 万菊は弟子にそう言いつけて、自分でさした傘を、川崎の上へさしかけた。

 川崎の外套の背と、万菊のモジリの背が、傘の下に並んだとき、傘からは、たちまち幾片の淡雪が、はねるように飛んだ。



これ、胸キュン!きました。

見ていた増山も、ショックを受ける。

こんな風に。

幻滅と同時に嫉妬に襲われている自分を知った。


お解りでしょうか。芝居をイメージしてください。


傘を自分が持つことで、


 万菊は男になっている。


 川崎は男装した女。



それを匂わす記述が確かにあります。


歌舞伎という様式美の世界です。

同じテクニックで真相を表現。スゴいなあ!!


誰が書いたんだろう。

なんとなくですが、空と雲の描写が開高っぽい。


タイトルの解読いきます。

せっかく様式美で極まったのにガクッなんですよね。


わざわざ「真女方」というワードが出て来る。

女方=真がない=十具がない=道具がない


「道具」というのが、隠語でございまして……。

殿方がお持ちのアレです。お調べください。



ぜひ、実際に読んでみてください。








[PR]
by ukiyo-wasure | 2018-09-23 01:29 | 詩・文芸 | Comments(0)

高橋弘希「スイミングスクール」年賀状来る?


高橋弘希さんの「スイミングスクール」

三島由紀夫賞なんですね。

三島について、どう思っているのか興味あるなあ。


題名を解読してみました。

中身についてはコチラを。

「スイミングスクール」解読。


本文に「いとこ」以上の近親である「兄妹」の関係が出て来て、これを「鴨ならぬフォアグラの味」と読みました。


フォアグラ=グース=ガチョウ


スイミングスクール=睡眠ガチョウ来る



  寝がちょう来る=年賀状来る



といえば、正月。


  賞ゲット!






 

[PR]
by ukiyo-wasure | 2018-09-22 12:21 | 詩・文芸 | Comments(0)

三島「百万円煎餅」何が白黒ショーだ!


超ワザとらしい題名です。

詳しくはこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/百万円煎餅


これが、ウィキにあるような話なら、どこが純文学や!なのです。

読者や評論家を「なるへそ、そっか!」と喜ばしておいて……。


よくよく考えてみてください。

白黒ショーのカップルが、堅実な生活をするのはあり得るとして、


クラス会に呼ぶとか、常識で考えて絶対にない!



真相は「夫婦マジシャン」。



「百万円煎餅」=加賀に「百万石煎餅」がある。


「石がない」という意味だとピンとくる。

「石」をどう読むかです。悩みました。

 石=真面目=まじ

 真面目を「まじ」というのは江戸時代からあるそうです。



 百万円煎餅=マジ捨=マジシャン



夫が玩具や機械、カラクリに興味津々なのが描かれています。


ぜひ読んでみてください。


これは三島先生、見事にハメられています。


「清子」「切り抜きの提灯」が出て来たから「谷崎筆」に一票。




[PR]
by ukiyo-wasure | 2018-09-21 17:04 | 詩・文芸 | Comments(0)

「清水の次郎長」と西村賢太さん


さっき、虎造の「次郎長名古屋の御難」を聞いていたら、


♪落ちぶれて
 袖に涙の かかる時
 人の心の 奥ぞ知られる〜


何十回と聞いているのに、気づかないものなんですね。

西村賢太さんの「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」

コチラに書きました。
https://tamegoro.exblog.jp/28514725/


で、なぜ「かかる時」を「ふりかかる」にしたのか。

気になったのです。

小説を読んだときは「語調」が良いからだと考えました。

だって意味的には変わらない。

谷崎が深沢にエールを送っている「瘋癲老人日記」のことだから。


今、解りました。

袖と涙だけでもいいのですが、ここで「降り」を加えることで「なぜ?」と読者に考えさせる。


袖、涙、降り。和歌の方では「縁語」



 縁語=援護



深いなあ……。


 

[PR]
by ukiyo-wasure | 2018-09-21 00:44 | 詩・文芸 | Comments(0)

三島「海と夕焼」誰が書いたんだ!


これも以下の文庫に入っている。
b0230759_00080211.jpg


1272年、鎌倉建長寺の勝上ケ岳へ、年老いた寺男と一人の少年が登って行く。

1272年という年号が重要。鎌倉時代です。

寺男の独白がメインなのですが、彼は碧眼のフランス人

名前は安里(アンリ)


キリストを見たという奇跡体験により、第六回(たぶん)の十字軍を組織し、マルセイユの港にやって来る

大勢の少年を引き連れている。

キリストのお告げによると、そこで祈れば「海が割れる」はずだった。

モーゼのあのシーンのような感じでしょうか。

しかーし、いくら祈ってもダメ

船に乗せてあげようと言う男に騙され、奴隷として売られる

各地を転々とし、中国で建長寺の開祖大覚禅師に救われ日本へ

晩夏の夕刻、山頂から鎌倉の海を眺め、故国の事、「神の助け」がなかったことなどがシミジミと甦るのだった。

ーーーーーーーーーーーーーーー
詳しくはこちらで。
https://ja.wikipedia.org/wiki/海と夕焼




さてさて、三島自身の解説が「卵」よりマズい。

引用します。

『海と夕焼』は、奇跡の到来を信じながらそれが来なかったという不思議、いや、奇跡自体よりもさらにふしぎな不思議という主題を、凝縮して示そうと思ったものである。


>ふしぎな不思議という主題


何を誤摩化しているんですか!!


この主題はおそらく私の一生を貫く主題になるものだ。人はもちろんただちに、「何故神風が吹かなかったか」という大東亜戦争のもっとも怖ろしい詩的絶望を想起するであろう。


>もっとも怖ろしい詩的絶望


ワケワカメだし!!


まだまだ続きますが、メンドーなので、興味のある人は実際に読んでみてください。



解読、行きまーす。


時は「鎌倉時代」です。この後に、ここが戦場になる。

「太平記」でおなじみ、新田義貞です。

稲村ケ崎のシーン。

海に剣を投ずると、浪が引き陸地が現れる。

そこを通って進軍、勝利をおさめる。


詳しくはこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/新田義貞#稲村ヶ崎突破と鎌倉攻略


タイトルですが、

「海と夕焼」をじーっと見てください。


「夕焼」は、昔はこれでも「ゆうやけ」と読んだ。


でも普通は「夕焼け」です。



 「け」がない=剣がない



アンリたちが祈っても奇跡が起きなかったのは「剣」がなかったから



誰が書いたんだろう。

三島の中の人は、谷崎、深沢、源氏鶏太、開高健……。

谷崎っぽいかも。どうでしょう。

[PR]
by ukiyo-wasure | 2018-09-20 16:15 | 詩・文芸 | Comments(0)

三島由紀夫「卵」オチは?


以下の文庫に「卵」が入っています。

b0230759_00080211.jpg

落語みたいな話。


偸吉、邪太郎、妄介、殺雄、飲五郎の五人の大学生。ボート部。体育会系です。名前の通り、盗み、女を追っかける、嘘つき、凶暴、飲んべえな輩。

彼らが、一つの下宿で共同生活。
騒々しくて、周囲は迷惑。

とくに毎朝、生卵を呑むときの、殻を割るときの野蛮な大音響は近所の人も辟易。

ある日、彼らが逮捕される。
捕まえた警官、顔がのっぺらぼう。
みんなツルッと「卵の顔」。

卵を呑むから、卵族(?)の怒りに触れたらしい。

裁判で死刑判決。

が、よく見るとそこはフライパンの中。

五人は把っ手を伝わって逃げる。
先端にぶら下がると、裁判所全体がひっくり返り、数千の卵たちは割れてしまう。

通りかかった石油輸送車に頼み、大量の卵液を下宿へ運んでもらう。

それから毎日卵料理。

五人は毎朝の、生卵を割る楽しみを失ってしまった。

ーーーーーーーーーーー

気の利いたギャグが散りばめられ、ノリのいい文体で書かれています。

ぜひ読んでみてください。



で、解説を三島自身が書いている。

引用します。

『卵』(昭和二八年六月号・群像増刊号)は、かつてただ一人の批評家にも読者にもみとめられたことのない作であるが、ポオのファルスを模したこの珍品は、私の偏愛の対象になっている。学生運動を裁く権力の諷刺と読まれることは自由であるが、私の狙いは諷刺を越えたノンセンスにあって、私の筆はめったにこういう「純粋なばからしさ」の高みにまで達することがない。



うーむ。悩ましいなあ。


「ポオのファルスを模した」「偏愛」「諷刺を越えたノンセンス」……相変わらずの観念的でイメージの立ち上がらない表現。


こうゆう文章を書く人には、この作品は書けないと思うなあ。



 深沢が書いたでしょ。




つうか、オチ、解ってるのかなあ。



 卵=卵白と卵黄=ワンパクと乱暴







[PR]
by ukiyo-wasure | 2018-09-20 01:05 | 詩・文芸 | Comments(0)

高橋弘希「日曜日の人々」の謎(番外編)


他の作品と違って、結論は「よく解らない」。

b0230759_01572555.jpg


解読していて気がついた事なんだけど。

奈々の義父の連れ子が「A」と表現されている。

「鬼」ときて「A」

神戸のあの事件を想起しました。

「須磨」がもう「源氏物語」。小説では千葉ですが「海」つながり。

あの事件の新聞社への声明文を確認したら、まさに、何かが取り憑いているような表現がありました。

心理学などがない頃は、こうゆうのを「妖怪」の仕業としたのではないかと思う。


そしてね、「酒鬼薔薇聖斗」という名前に、えーっ!


「源氏物語」の「賢木」が「天邪鬼」です。



「賢木」の読みが「さかき」


偶然というのは恐ろしい!!




*追記 2018.9.20 最大の謎は……

西村賢太さんのときも思ったのだけど、今の時代に、ここまで経歴不明でいられることの不思議。

同級生の一人も出てこない。バンド仲間も、講師をしていた塾の生徒も「書き込みなし」。

「高橋弘希」がペンネームだとしても、

顔バレしているのに……なんで!?



[PR]
by ukiyo-wasure | 2018-09-19 15:44 | 詩・文芸 | Comments(0)

高橋弘希「日曜日の人々」の謎(3)


ということで、パート3。

b0230759_01572555.jpg


正直ワケワカメです。なんで?というのがいくつかある。

主人公の航(わたる)が、セルフケアの会「レム」に入会する。

入会理由ーー心が病んでいる理由ーーを「母親の自死」と答える。

でも、彼の両親は健在。

この時点(一読目)では、奈々の死因を探るために潜入したのだから「ウソをついた」と考えた。

また、練炭自殺に参加したとき。三度「幇助」をしたと話している。

これも一読目では、ウソをついているなって読む。


ところが、ここに「天邪鬼」というか「死神」という登場人物(?)を想定すると、すべてホントかな?って思える。

レムを開設した磯部という人が自殺しているのですが、母親が縊死

前に書きました。床から爪先までの空間です。

現在、主人公に取り憑いている「死神」が、もとは磯村に付いていたと考えると真実となる。


最後の方に、練炭自殺から生還して、本などを燃やしている時、


見たこともない海豚の脊椎骨と、君の朝の会を必ず聞かせて欲しいという言葉をふいに想起し、日曜日の人々を抱えたまま立ち尽くしていた。


冒頭に出て来る「海豚の脊椎骨の思い出」は、主人公ではなく奈々のものです。


一人(一体?)の「死神」が、奈々、磯村、吉村の三人に、順々に取り憑き、死に至らしめたのかもしれない。


現在は主人公から抜け出しているのかどうか知りませんが、奈々に入っていたときの残像が甦ったのかとも読める。


まあ、よく解りませんが。

そして「日光」という地名ですが、中禅寺に天邪鬼がいるみたい。

中禅寺ホームページ
http://rinnoji.or.jp/precincts/cyuuzenji


彼を助けた「禿頭の小男」のイメージが、天邪鬼とかぶります。


ラストシーンの、昏睡状態のひなのの場面は「1Q84」の昏睡した父親とイメージがかぶります。


あくまでも私の知っている範囲での解釈ですから、何とも……。


そうそう、書き忘れるところでした。

この小説自体に「裏源氏」がスカシで入っています。

たとえば、ひなのちゃん、やっぱり階段から落ちたでしょ。


「転落死」=「空蝉」です。




*追記 2018.9.19

「日光」は源氏アイテムで「若菜(下)」でした。

若菜=我が名=光=日光

霍乱による死。今でいう「熱中症」「日射病」。

そういえば「鬼の霍乱」という言葉がある。

集団自殺から助かったのは「鬼(禿小男)が良心を持った」ってこと?

物凄く高度なシャレ……うーん、あり得るかなあ。



[PR]
by ukiyo-wasure | 2018-09-19 02:43 | 詩・文芸 | Comments(0)