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「君が代」の素朴な疑問


川端の「ちよ」をパラパラ読んでいました。

何たって、本人が「封印」しろと遺言したのに、全集に入っちゃった作品の一つですから。

超アヤシイ。たぶん谷崎が書いた。

川端は晩年、「何か仕込まれた」感がして気持ち悪かったと思う。

「ちよ」については、いずれじっくり解読します。


今回のネタはそこじゃない。


「ちよ」というタイトルが、どうも「君が代」に関係している気がして、アレコレ考えていたら、素朴な疑問がふつふつ。


「君が代」の本歌はコレです。



 わが君は 千代にやちよに さざれ石の
       巌となりて 苔のむすまで



「古今集」の分類では「祝歌」でしょう。



解釈はこちら。
https://tamegoro.exblog.jp/26821828/


素朴な疑問とゆうのは、


 このまんまで良かったじゃん!

 何で直したの?



これから「天皇制」でガッチリ固めようって時です。

「わが君」=天皇。小細工の必要まったくない。



前にね、「武士道」がキリスト教の「殉教精神」そっくりだと書きました。

違うところは…武士道では「忠義」をつくす対象が「この人こそ」と、選べることです。会社を選ぶほど自由ではないでしょうが、秀吉のように「こいつはアカン」となったら主君を変えられる。
「任侠道」で盃を返すみたいなもの?


明治維新で忠義をつくす相手は唯一、天皇としなければならない。

キリスト教徒にとっての「神」です。

上手いこと考えたなあと関心いたしました。

さすが「言霊の国」です。

「わが君」を「君が代」に変えたらどうなるか。


君が代=「いろは歌」の「き」と「み」の余(いらない文字)

つまり「捨てた文字」=「ゆめ」

=む=「まみむめも」で「下み」=神


「君が代」の歌は、こうゆうことに、


 神は千代に八千代に〜



まるで「賛美歌」の歌詞のようになっちゃうのでした。



by ukiyo-wasure | 2018-06-15 15:00 | 歴史 | Comments(0)
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