川端康成「散りぬるを」の真相は


「ダンス・ダンス・ダンス」が山頭火の句について書いているという前提で読んでいます。

第30章あたりから、当時の文壇の秘密に触れているようでとても恐い。

村上春樹さんが触れているというより、山頭火の句が恐い。

戦前から戦後にかけて、作家はどうしてこういう死に方をするのだろうというのはありました。どんだけブラックな世界なんだ。

ヒロポンを飲んで徹夜して、眠れなくてカルモチン。
結核で亡くなってる人もいます。

「伊豆の踊子」について谷崎の代作ではというのも出てきました。

代作はまあ、本人が納得して書いているから盗作と違って、そんなもんかという程度。

読者にとっては「産地偽装」みたいなもの?

ところが、殺人があったかのように読める句が出て来るのです。

裏読みですからハッキリは解らない。

作品の中でのことなのか、現実なのか。

「ダンス・ダンス・ダンス」でも人が次々と死にます。


で、山頭火のこの句。

  陽だまりを虫がころげる


以下をご覧ください。
http://tamegoro.exblog.jp/28070432/

この句は「ダンス・ダンス・ダンス」の第36章と一致すると思われます。


「散りぬるを」を読みました。

昭和8年の作品。新潮文庫「眠れる美女」に入っています。

「眠れる美女」も読んでみましたが、「散りぬるを」の方が断然、完成度が高い!

いや、こういう言い方は生意気ですね。断然、面白かった。


「散りぬるを」を皆さん、どう読みましたか。つまり真相です。

私は、二人の女性の死は、ポルノ写真(SM)の撮影の事故(または猟奇殺人)と読みました。

犯人としてつかまった男性は、二人の名誉を守るために犠牲になったと読めます。

自己犠牲です。蔦子を愛していたのでしょう。無償の愛。これが実にキリスト教っぽい。

主人公が「嫉妬」してもおかしくないほどの「美しさ」です。

裁判官はじめ、全員が、若い女性二人が、いかがわしい写真のモデルをして死んだという事実を隠そうとストーリーを創作する。

落語の人情話みたいです。

このくらい読めるだろうと、読者を信じている感も落語のノリですね。

いいなあ。こんな素晴らしい構成の小説は滅多にないでしょう。

幸田露伴のような、心が洗われる読後感。



「散りぬるを」=葉がない=陽画ない=印画

谷崎のやりそうなことです。

解決編のないミステリー。

でも、ちょっと文体が違うかなあとも感じました。

もしかして太宰? 太宰はほとんど読んでいないので特徴が解りませんが。

太宰ファンの方、どうでしょう。

それと、太宰はキリシタンと関係があるのでしょうか。


川端康成は代作の噂が結構ありますが、じゃあ、確実に本人が書いたものはどれなのでしょう。

三島由紀夫は「文体を持たない作家」とか言っているし……。





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by ukiyo-wasure | 2018-02-09 01:17 | 詩・文芸 | Comments(0)
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