其角「人が人を恋るこころや花に鳥」


  人が人を 恋るこころや 花に鳥


この句は、私にとってとても意味のある句なのです。

クロスワードのカギを考えるときの発想に、大変役に立ちました。

たとえば、

「梅にウグイス」という決まりきった発想に、人間の感情を組み合わせて「シャレ感」を添えるテクです。

 「梅に○○○○、アナタにはアタシ」みたいな。

このパターンは散々使わせていただいております。其角大明神、様様なのでございます。


しかし、一方で、


人間同士の恋と、花に鳥が来る理由は違う!



とも思っていた。だから、この句も「謎句」だったのです。

昨日、寝る前に考えて寝たら、目覚めた瞬間、解けました。

数年来の謎がとけた、今日は記念すべき日となりました。

平仮名で書くと解りやすい。


ひとがひとを=ひとがいとを=人が井戸を

こうるこころや=乞うる心や

花に鳥=そのまま。蜜を吸いに来るのですから。


 人が井戸を 乞うる心や 花に鳥


これじゃあ、ちっとも面白くない。だからヒネる。

 西行や、山頭火、あるいは明日をも知れない放浪の民の世界を、恋愛という砂糖をまぶして、俗受けする表現にしたといいましょうか……。

 
 情緒に流される文系的センス?…だけでは読めないのが其角なのでした。








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# by ukiyo-wasure | 2017-09-22 12:31 | 古川柳・俳句 | Comments(0)

アドレセンスとは


 アドレセンスという言葉。村上春樹さんの「ノルウェイの森」で出会って、辞書で引いた人も多いと思います。

 私もその一人。「青春」という意味だそうで。

 「ノルウェイの森」も、「1Q84」同様、何について書いてあるか、仮説は立っています。タイトルでピンと来ました。

 しかし、「1Q84」と違い、一対一対応ではありません。全体にバラバラに入っています。核心なのか、つなぎなのか判断に苦しむのです。

 全部解けたら、何らかの形で発表します。


 そうそう、アドレセンスでした。


 この言葉が出て来るのは(上)の第四章です。

 大学のキャンパスの風景です。ヒントの文章があります。引用します。


 一人は赤ん坊でも抱くみたいに大事そうにテニス・ラケットを胸に抱え〜

 この文章と「青春」と、私の仮説を合わせると、ピカソの「青の時代」が導き出されます。「青の時代」の作品に「赤ん坊を抱いている絵」があるからです。
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 ピカソは「スペイン」を導き出します。

 こんな風に、言葉たちが巧妙に変装をしているのが村上文学。

 文学というより、パズルや暗号に近いですね。

 一番厄介で、解った時に嬉しいのが「空耳系」です。

「1Q84」における、

 イグアノドン=伊賀のドン=服部半蔵みたいな。

 



 

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# by ukiyo-wasure | 2017-09-22 01:16 | 詩・文芸 | Comments(0)

其角「夜あるきを母寝ざりけるくゐな哉」


 
  夜あるきを 母寝ざりける くゐな哉


 元禄三年ですから、1700年。39才の時の句。結婚して子供もいます。解説では、若い頃を思い出してとなっています。


 夜あるき=弱る木=弱る子

 くゐな=水鶏=みとり=看取り看病のことです。

 
 弱る子を 母は寝ないで 看病し

 母は奥様でしょう。次女の「みわ」さんが六年後に亡くなっています。病弱だったのでしょう。

 その時の句が、


 霜の鶴 土にふとんも 被されず


 翌1707年、其角も没。


 「夜の鶴」でなく「霜の鶴」。なぜ?


  雨・木・目で「憂き目の鶴」か。

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# by ukiyo-wasure | 2017-09-21 23:26 | 古川柳・俳句 | Comments(0)

「五目寿司の素」の欠点


 いつもは、五目寿司(ちらし寿司)は手作りです。油揚げやキノコ、レンコンなどを甘辛く煮る。これを酢飯に混ぜます。

 昨日、久しぶりに「五目寿司の素」を使って作りました。忙しかった頃はよく使いました。上に卵やイクラ、桜でんぶなどをパラパラ、彩りよく飾る。

 当時はべつにマズいとも思わず食べておりましたが、昨日、久しぶりに食べたらマズいのです。

 メーカーの悪口を言うつもりはありません。

 今まで気づかなかったのですが、市販の素と手作りとの決定的な違いが「解った」のでした。

 市販の素は、調味酢と具がひとつになっています。それを温かいご飯に混ぜるだけ。

 だから、具も酸っぱいのです。

 具に酸味はいらない。具は甘辛いだけでいい。

 これが、手作りとの違いです。

 メーカーさん、具と酢は別々の方が美味しくなると思いまーす。

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# by ukiyo-wasure | 2017-09-21 20:28 | 日常 | Comments(0)

其角「杉の上に馬ぞみえ来る村栬」


  杉の上に 馬ぞみえ来る 村栬

 
 村栬=むらもみじ。まだらな紅葉です。

 うーん、だから何?の情景です。

 杉=サン=三。三の上は四。

 四に馬=死に馬でしょう。博打で負けがこんで回復の見込みなし。

 博打は、花札ね。紅葉がまだら=揃わない

 紅葉を「鹿のいる札」と考えると「馬鹿」にもなります。


 芭蕉一門は花札が好きなのでーす。



  傘に ねぐらかさうや ぬれ燕

 この句も、花札11月の傘をさした小野道風の札と、ツバメの札からの発想だと思います。

 ねぐら=塒=土・日・寺=といち。十一とも読めます。また、花札の役に「といち」というのがあるようで。




追記 ちょっと待て。こっちかも。

 以前の記事を引用します。



 
  わが庵は 都の辰巳 しかぞすむ 
      世を宇治山と 人はいふなり



「都の辰巳」は方角です。辰・巳の次が「午=馬」。

そこに「鹿」が住むと、馬と鹿が隣り合います。

「世を宇治山」とは何か。「世を憂しとする山」です。

「世を憂いて」とくれば「死」です。

鳥辺山(風葬の地)のような墓地を意味している。

 もうお分かりでしょう。墓=バカ。


杉の上=世。紅葉=鹿。この歌の意味を言いたかったのかも。






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# by ukiyo-wasure | 2017-09-21 00:48 | 古川柳・俳句 | Comments(0)