山里は〜石頭には読めない


 28番・源宗于朝臣さん。ムネユキと読みます。


  山里は 冬ぞさびしさ まさりける
    人目も草も かれぬと思へば


 「鑑賞」では、

  「孤独な寂しさをいっそう感じさせる冬の山里」


 「古今集」にも入っている、大変に優れた歌でございます。未来に残したい和歌百選ということで、定家先生は選んだ。

 いったいどこが素晴らしいのか、文部科学省で指導要領を作っている先生方にぜひ聞いてみたいものです。

 冬に寂しさがまさるのは、当たり前だのクラッカー。全然新鮮な切り口じゃない。「春ぞ寂しさまさりける」ならば「えっ、なんで」となりますが。

 そしてひっかかるのが「人目」ね。不自然でわざとらしい。「人」の意味を表すのに、もうちっと、適切な言葉はないのかなあ。人気(ひとげ)とか。

 そんなわけで、


 山里=田舎、胃中です。

 人目=「人」を一人(ヒトリ)のトリと読む。
     鳥目(ちょうもく)=銭のこと。

 草=サと早でササ。笹=酒です。


   胃の中は 冬ぞさびしさ まさりける
      お金も酒も かれると思へば

  
 源宗于さんは官位が進まず不遇だったとありますが、官僚より芸人などが向いているタイプと思われます。いやあ、オモロイ!
 こうこうセンスを受け継いだのが其角なんでしょうね。

 


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# by ukiyo-wasure | 2017-05-27 15:55 | 詩・文芸 | Comments(0)

レモン半個分のムカつき


 昨日、夕食時にテレビのクイズ番組を見ていましたら。「レモンでレンジ内の汚れが一瞬にしてきれいになる」と言っておりました。実際の映像付き。

 「一瞬というのは、瞬きの間なのに、拭き取る時間はどーなるんだ。いい加減なことを言うなあ」

 とは思ったものの、レンジ内にこびりついた汚れがあったのと、ちょうどレモンがありましたので、試しました。500Wで三分。そのあと布で拭きました。……汚れは全然とれません。

 国産レモン半個、無駄にしました。
 
  私のやり方がまずかったのでしょうか。

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# by ukiyo-wasure | 2017-05-27 12:24 | 日常 | Comments(0)

小倉山〜


26番・貞信公さん。実の名が藤原忠平。


  小倉山 峰のもみじ葉 心あらば
   今ひとたびの みゆき待たなむ


 宇多上皇がね、小倉山の紅葉があまりに素晴らしいので「醍醐天皇(息子)にも見せたいなあ」と言った。それを聞いた忠平さんが、和歌にして醍醐天皇に奏上したのだそうです。


  おぐらやま
  峰もみじ葉
  あらば
  今とたびの
  みゆき待たなむ


 こういう規則で読むと「奥の真意見ゆ」となります。

 「奥の真意」とは何か。

 これはもう、国語ではなく日本史の世界です。
 私は、自慢じゃありませんが、学校も勉強も嫌いでしたから、さっぱり解りません。頼りになるのはグーグル先生のみ。


 宇多天皇は菅原道真を重用していました。それを醍醐天皇は太宰府に左遷したのです。例のあの怨念の原因を作ったのが、この醍醐さんなわけ。歌の作者の忠平さんは、道真と仲良しで、宇多天皇の御幸には揃って同行しているようでございます。


 さてさて、24番・菅家(道真)さんの歌です。


  このたびは ぬさもとりあえず 手向山
         紅葉の錦 神のまにまに


 これこそが、宇多天皇の御幸に同行したときの歌でございまして。

 「今ひとたびのみゆき」とは「道真とともに紅葉狩りをしたいなあ」「なぜ太宰府などに流したのだ、バカもん!」が真意でしょう。


 はたして、ダイゴくん、理解できたのか。

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# by ukiyo-wasure | 2017-05-27 01:58 | 詩・文芸 | Comments(0)

おほけなく〜


95番・前大僧正慈円さん。「愚管抄」の著者です。


 おほけなく うき世の民に おほふかな
       わがたつ杣に 墨染の袖


 鑑賞では、

  「僧として天下万民を救おうとする抱負と決意。」


 慈円さんは、関白藤原忠通の子です。いいとこのお坊っちゃまです。それが十一歳で出家している。この歌も、かなり若いときのものとされています。

 歌の内容だけで、百人一首に選ばれてもいい、すばらしい決意でございます。しかーし、声に出して、繰り返し読むと、アレアレ怪しいぞとなるのです。

 「おほけなく」と「おほふかな」や「杣に 墨染の袖」など、やたら同音が多いのね。ラップで韻を踏むような感じでもないし……何で?


 く きよ ふ(う)
    わ す

 色をつけたのは、同音が二つ以上の字です。これだけ重なっています。残った文字を並べます。


  けくきよわつますめて


  けく    武士(公家の反対)
  きよわ   清=西行(義清)は
  つますめて 妻澄めて(澄める=汚れを取り去る)

 「西行は妻を捨て去って出家した」の意でしょう。


 ウィキによると、慈円さんは西行に憧れていたみたいです。

 引用します。
  
【『沙石集』巻五によると、慈円が西行に天台の真言を伝授してほしいと申し出たとき、西行は和歌の心得がなければ真言も得られないと答えた。そこで慈円は和歌を稽古してから再度伝授を願い出たという。】


 深いなあ、歌道。こうなると「愚管抄」も絶対「裏あり」の表現に満ちているでしょう。難しそうで読みたくありませんので、どなたか、かわりに深読みをお願いします。
 

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# by ukiyo-wasure | 2017-05-26 13:25 | 詩・文芸 | Comments(0)

風そよぐ〜


 98番・従二位家隆さん。


  風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
    みそぎぞ夏の しるしなりける


 爽やかな夏の風物詩です。
「寛喜元年女御入内屏風に」書いたものだそうです。おめでたい、お祝いの歌ということです。


「ならの小川」というのは、奈良ではなく京都にある御手洗川(みたらしがわ)だそうです。なるへそ。そうなると、ちょいと意味深になってまいります。


  風そよぐ    
  御手洗川の    
  夕暮れは    (七夕のバ)
  みそぎぞ夏の  
  しるしなりける 


 「神様は見し」です。この言葉、あんまりイメージよくありません。今も、ナントカ学園のことで「どっちかがウソ」状態ですが。子どもの頃にも言われました。「神様は見ているんだから、正直に言いなさい」。
 どうも、悪事の告発のように感じられます。恨みつらみをさりげなく歌に込めた。顔はニコニコ、口は「おめでとうございます」、内心は「今に罰があたるぞ」です。
 これが人間の心というものでしょう。

 女御は藤原道家の娘竴子です。後堀河天皇の后になりました。ウィキで調べると、当時はいろいろあったようで。権力争いです。書くのが面倒なので、興味ある方はググってみてください。
 
 竴子さんと後堀河天皇の子が四条天皇。2歳で即位し12歳で不慮の事故死。これが怨霊のしわざとか祟りとか言われたそうです。

 
 
 
 

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# by ukiyo-wasure | 2017-05-26 01:30 | 詩・文芸 | Comments(0)