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太宰の「芥川賞おねだり」で思う事


川端康成大先生には、まったく恨みはございませんが。

元はといえば深沢を深読みしたせいです。

もうね、何でここまで川端康成を嫌うのかと疑問でしたから。


今、何となく解ってきました。

相撲界や芸能界もそうだと思いますが、日本って、たとえば力士を夢見てプロになるには、相撲協会しかないでしょ。

能力はあるのに、その組織自体が嫌になったらやめるしかない。

昔の文壇も、ごく限れた狭い世界で、そこにボスだかドンだかがいたんでしょうね。

新人が世に出るためには「先生」について、代作もして、ご機嫌を取ってやっとデビュー。

葉山の本を読むと、プロレタリアの方でも代作問題が出ている。同じ号に同じ作家が2作はマズいから、別の人の作品にするとか便宜上もあるのでしょう。

パズル雑誌でも、同じ人なのにペンネームを三つに分けたりします。


太宰の話ですが、これから解ることは、

●川端康成に芥川賞の決定権があった。

●太宰には、川端にそう言える事情があった。

 考えられるのは「代作」をして、その作品が世間に評価された。

なのに、あのような断り方をされたら、そりゃあ殺意を覚え、小説を書くのが嫌になると思う。


今にして思うと、深沢の書いた物の端々に「え?」ということがありました。

「楢山」で賞をとった後も、作品を武田だったか白鳥だったかに見せている。

つまり、今までずーっと、そうやってきたということ。

出版社の編集者ではなく、先輩作家に持って行っている。

もう一つは「嶋中事件」の「風流夢譚」が、出版社ではなく三島の手許にあったということ。

当時の文壇の事情が垣間見えます。

もっとありますが、続きは後で。



by ukiyo-wasure | 2018-02-04 12:31 | 詩・文芸 | Comments(0)
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