人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「1Q84」庖丁は皿の裏で研ぐ



「1Q84」の各章は、深沢七郎の各小説と一致している。


 この仮説のもとに、読んでいます。




BOOK3 27


深沢の「盆栽老人とその周辺」です。


「盆栽老人」が「盗載老人」に変化します。


 たとえば…木がなくなって、車が突っ込むみたいな。



「1Q84」の方。


すっごい考えました。

解ったときは、脳の中を爽風が抜けましたね。




天吾は流し台の上で、とくに研ぐ必要もない庖丁を研ぎながらそう思った。


これ、変でしょ。


私には「盆栽老人」関連の何かというヒントがある。普通の小説という前提で読んだ人は、ここでどーするのでしょう。

スルーしちゃうの? 気になりませんか。

一人暮らしの天吾くんは、砥石を持っているのでしょうか。普通は持っていない。じゃあ、何で研いだのか。


村上春樹さんはバーをやっていましたね。
お皿の糸尻で研ぐってことをご存知のはず。



「盆」←この字を表していますね。



彼らがそのとき足を踏み入れたのは扉のない部屋だった。そこから出て行くことはできない。またそれ故にほかの誰もそこに入ってくることはできない。そのときの二人は知らなかったのだが、そこは世界にただひとつの完結した場所だった。どこまでも孤立しながら、それでいて孤独に染まることのない場所だ。

その部屋とはいったい何でしょう。


難しかった。でも解りました。「乳母車」でしょう。いや、ベビーカーと言い直します。


「栽」と「載」の違いは、木と車。


木=こ=子。「子の車」ベビーカーです。


十歳のときだってそうだったし


十歳=「とおさい」=盗載。



「月が見える」と青豆は言った。


月=次。


「盆」が「盗」になりました。



by ukiyo-wasure | 2017-09-15 22:29 | 詩・文芸 | Comments(0)
<< 「1Q84」トラウマ 「1Q84」食パンにみそ汁 >>