来ぬ人を〜


 97番・藤原定家先生です。ご自分の歌ですからね。


  来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
    焼くや藻塩の 身もこがれつつ


 恋の歌ということになっています。男なのに女心を詠んでいる。身をこがすような思いで、私待つわ〜♪


 この歌の頭文字を読みますと、きしはやみ=岸は闇夕=七夕のバタとなります。ふーん、こんなものが、自身の最高傑作ですか。後の世に残すにはお粗末すぎませんか。
 それに、本歌取りで純オリジナルではない。


 定家先生は1162ー1241、長寿でございます。
 そしてね、1230年から1231年に「寛喜の飢饉(かんきのききん)」が発生。鎌倉時代を通じて最大規模だそうです。


 ウィキによると「定家の日記『明月記』にはその状況が詳しく書かれており、寛喜3年9月には北陸道と四国で凶作になったこと、翌7月には餓死者の死臭が定家の邸宅にまで及んだこと、また自己の所領があった伊勢国でも死者が多数出ていて収入が滞った事情が記されている」


 ピンと来ましたか。「きしはやみ」ではなく「こじはやみ」


  「孤児は病み」でしょ。



 

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by ukiyo-wasure | 2017-05-19 23:50 | 詩・文芸 | Comments(0)
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