葉山嘉樹の毒舌

 毒舌でピンときたから葉山嘉樹。この人の本、開けばもう毒舌ばっか。


『ザック・バラリズム』より

 だが『労働文学』にいる人たちは、揃って労働者出で、揃って馬鹿だ、ということは、人から突っ込まれる前に白状しとかう。
 しかし、かう、世の中が世知辛くなると、馬鹿の存在も、いいものだ。ただ、あんまりそいつが集まり過ぎるんで、どうも。


『書簡』より

 創造するということは馬鹿だけのやる骨の折れる仕事なのだ。悧巧な奴は人の創造したものを利用するだけだ。発明家と実業家、作家と出版屋、百姓と地主。労働者と都市消費階級。
 馬鹿は常識がない。常識以前を彷徨しているからである。


『文芸戦線』

 黒島、宗、お前たちは俺の家へ来て何と云った。長谷川お前はどんな手紙をよこしたか。卑怯者奴!御都合主義者奴! 「その日」を覚悟してやがれ!
 

 労働者作家はお坊ちゃん作家とは違いますね。
 へなちょこ現代人を代表して一句。

 
 バカヤロー! 面と向かって 海へなら

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# by ukiyo-wasure | 2017-01-21 01:01 | 作家 | Trackback | Comments(0)

太宰の毒舌

 魯山人の毒舌を書いていて、「毒舌集」なるものを出したらウケそうだと思いつきました。他に誰がいるかと考えた。たけしさん、談志師匠……太宰の「如是我聞」は当時の文壇の大御所に噛みついたことで有名です。

『如是我聞』
 他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ。敵の神をこそ撃つべきだ。でも、撃つには先ず、敵の神を発見しなければならぬ。ひとは、自分の真の神をよく隠す。
 これは、仏人ヴァレリイの呟きらしいが、自分は、この十年間、腹が立っても、抑えに抑えていたことを、これから毎月、この雑誌(新潮)に、どんなに人からそのために、不愉快がられても、書いて行かなければならぬ、そのような、自分の意思によらぬ「時期」がいよいよ来たようなので、様々の縁故にもお許しをねがい、或いは義絶も思い設け、こんなことは大袈裟とか、或いは気障とか言われ、あの者たちに、顰蹙せられるのは承知の上で、つまり、自分の抗議を書いてみるつもりなのである。


 うっへー、魯山人とは大違い。長々と言い訳してるし「勇気を振り絞っている」のが伝わって来ます。


 だから文士はこんな風にいわれる。


「これを我が文芸家に見よ。彼ら口を開けば則ち言う、我ら真を写すと。しかしながら彼らのいういわゆる真とはそもそもいかなるものであるか。」

 吾輩はそこに

 意気地なき繰言か楽屋落ちのほかに

 何者をも認むることは出来ない。


石橋湛山の言葉ですが、この人の方が毒舌かも。

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# by ukiyo-wasure | 2017-01-20 12:52 | 作家 | Trackback | Comments(0)

魯山人の毒舌

 今の日本、勇気を振り絞らなければ「嫌われる」こともできない人が多いようで。「嫌われる」ことを屁とも思わなかった魯山人先生の文章は、今の時代にピッタリ。悪口がじつに上手いのです。

墨蹟より見たる明治大正の文士』という随筆。松屋にて、文士たちの書と愛用の机や文具などが展示されたときの感想です。

「墨蹟批判の前に先ず驚いたのは陳列されている文士の持ち物である。」と初めて、まず漱石。書は立派だが、机、硯、火鉢などをけなします。

「なんたる情けない低級な物ばかりなのだ。まるで駅前の宿屋そのままだ。」
「こんな俗悪見るに堪えないものばかり」
「お前の眼は犬猫同様物の形が見えるというに過ぎない」
「銀座の夜店で売っている机」
「たのまれたって置き兼ねる炭取り」
「あんな不愉快なものを見てなんとも感じないのか」

 と、お札の絵にもなった文豪に毒づきます。

「一番愚にもつかぬ物を持っているのは大町氏だ。ここまで低級になると、もはや論外で滑稽に終る。これを集めるのは銀座の夜店では集まらない場末の屑屋だ。」

 屑屋と言われた大町という作家、検索しました。

大町 桂月
1904年(明治37年)9月に『明星』に発表された与謝野晶子の「きみ死にたまうことなかれ」に対して、「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」と『太陽』誌上で非難している。これに対して与謝野晶子は『明星』11月号で「ひらきぶみ」を発表し、「歌はまことの心を歌うもの」と弁明している。
 
 
 
 

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# by ukiyo-wasure | 2017-01-20 02:40 | 作家 | Trackback | Comments(0)

将棋のナンプレ

 将棋界でいろいろありましたね。私はルールすら知りません。人口知能がナントカということでございますが。
 昔ね、将棋とか囲碁なんて、まったく生産性のないことにあんな優秀な人たちが人生を賭けて……と思っていた時期がありました。 

 それがある時、荘子を読んでいてハッとなったのです。荘子は「知恵」は極めて危険なものとしている。今でこそ、頭がいいと「科学者になって人類に貢献しよう」ということになりますが、これがマズいと荘子さんは考えた。持って生まれた類い稀なる頭脳を、そういうことに使ってはダメ。知的好奇心は際限なく、それが危険だろうが人間を不幸にしようが関係なく突き進むから。例えば兵器の発明。さらには、意地汚い輩の金儲けに利用される。 

 だ・か・ら、そういう天才たちは、人類の未来を脅かさないものに没頭し、知的欲求を満足させましょう。ということで将棋や囲碁や数学です。闘争心バリバリで、類い稀なる身体能力を持って生まれた人は、戦場ではなくスポーツへどうぞ!と同じです。 



 表出20のナンプレです。
 数字を将棋の駒に置き換えました。ご賞味ください。
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# by ukiyo-wasure | 2017-01-18 23:33 | パズル | Trackback | Comments(0)

北斎の滝つづき

 北斎の滝シリーズですが、滝=キノコでございます。それで、他にもあるのですが、画像を貼るのがメンドクサイので興味ある方は他で検索してください。私は「アダチ版画」さんのを見て解読しました。
 
●馬がいる滝=マイタケ(馬居)

●大山詣の水垢離=ソライロタケ(空色のキノコが逆さになっ
         ています)揃って滝壺に入っていますか
         ら「そろいろ(瀧はロウと読みます)」

●壁のような滝=イワタケ(断崖に生えます)

●下に茅葺きの家々=カヤタケ

「橋シリーズ」もありますが、これはたぶん武将に見立てています。太鼓橋は太閤秀吉。前に出した「扇」は那須与一。熊坂長範もいました。木と石がくっついた橋は武田信玄。
「人は城、人は石垣、人は堀〜」という名言がありまして……「人は石が木」てなわけでーす。

 


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# by ukiyo-wasure | 2017-01-18 22:55 | 美術 | Trackback | Comments(0)